「働くことを軸とする安心社会」by連合

連合のホームページに、先日採択された政策方針「働くことを軸とする安心社会〜わが国が目指すべき社会像の提言〜」が掲載されましたので、読んでみました。長いので全文はこちらからどうぞ。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/anshin_shakai/index.html
全体を通じての感想としては、ああ連合というのはやはり難しい組織なんだなあというものです。構成組織のウィングが非常に幅広く、大方の納得できるような基本方針をつくるとなるとどうしてもこういうものにならざるを得ないのでしょう。
これは逆にいえば、先人が路線の違いを克服して労働戦線の統一を達成した(いや全労連とかいますが)のは偉業だったということでもあり、連合がその統一をなにより大事にしたいと考えるのももっともです。とはいえ、八代尚宏先生などがとみに指摘されているように、こんにちの社会問題は「労労対立」、つまり労働者間の利害の不一致をともなうものが多く、構成組織がそれなりに互譲の精神をもって路線のすり合わせを行わなければ、現実的な政策方針をつくることも非常に難しいのではないかとも思うわけです。それはおそらく連合にしかできない役割であり、社会的に連合に最も期待が寄せられることではないかと思います。いやもちろん余計なお世話ですし、とっくにご承知で一生懸命やられていることとは思うのですが。
ただ、少なくともこの提言を読む限り、相変わらず経営者と新自由主義市場原理主義を仮想敵に仕立てて、労使対立、イデオロギー対立の枠組みで現状を理解しようとしている基本姿勢に変化はみられません。仮想敵との対立を明確にすることは組織の結束を高める上できわめて有効な手法ではありましょうが、しかし事実・現実を無視した観念的な対立関係に立脚して立論しても建設的なものにはなりえないでしょう。というか読みはじめての素朴な第一印象は例によっていつものことながらどうしてこうも口汚くののしるのだろうというものなのですが、これも対立関係を協調し敵・味方意識を煽ることで組織の維持をはかろうということかもしれません。しかしそれで組織の士気は上がるにしても、本当に説得しなければならない人たちにはうまく伝わらないのではないかと、まあこれも余計な心配ですが…。
ということで、現状認識を示した第1章はほぼ全面的にダメです。第2章以降の各論では随所でいいことを言っている(変なことも言ってますが)だけにこれは非常に惜しいなあと思います。いやまあ分類すれば私もネオリベになるという自覚はありますので、ここまで「新自由主義」をあしざまに書いて(というか、連合のいう「新自由主義」は新自由主義よりリバタリアン、それもかなり極端なそれに近いような気がしますが)叩かれればあまり気分はよくないわけですが、それ以前にこれただのアジテーションだよねえとも思うわけです。たとえばこんなのとか。

 バブル経済の崩壊を経て、1990年代の半ばには、日本のこれまでの仕組みが耐用年数を過ぎたことが誰の目にも明らかになっていた。しかし、政治や行政は、その抜本改革に向けたビジョンを呈示することができなかった。その間隙を縫って、これまでの仕組みをすべて時代遅れなものとして市場原理主義に置き換えようとする、新自由主義的な潮流が経済と政治を席捲することになった。人々は、それまでの官僚や族議員の利権がはびこり自由な選択が制限された仕組みに対しては、不満と苛立ちを強めていた。したがって、こうした潮流は、政治の劇場化ともあいまって、一時は選挙などでも強い支持を得て、市場原理主義的な改革が進んだ。だが、こうした改革は古い仕組みをただ解体するだけで、それに代わる新しい生活保障の仕組みをつくりえなかった。

 新自由主義の席捲とグローバリゼーションの進展に伴う市場競争の激化を背景に、企業も、日本型経営の特徴であった従業員主権主義から株主利益最優先の経営、短期利益追求型の経営に傾斜し、生産性三原則は公然とないがしろにされた。賃金を抑制するとともに、多様な働き方を提唱しながら正規労働者を減らして安価で使い勝手のいい非正規労働者を増やした。人を物件費でモノ扱いし、政府はセーフティネットをつくることなく、企業の利益追求を後押しする政策を進めた。それゆえに、格差が拡大し、貧困が増大し、人々の絆が著しく弱まり、国民の不安は一層増大した。政官財のトライアングル自体はそのまま温存され、格差も不安も解消されなかったため、歴史的な政権交代がおこなわれるに至った。

いやこういうのを読んで気持ちよくなる人がいるのはわからないではないですが、しかしたとえば「これまでの仕組みをすべて時代遅れなものとして市場原理主義に置き換えようとする、新自由主義的な潮流が経済と政治を席捲することになった」なんてのは誇張を通り越してもはやウソの域だよねと思いますし、「人を物件費でモノ扱いし、政府はセーフティネットをつくることなく、企業の利益追求を後押しする政策を進めた。それゆえに、格差が拡大し、貧困が増大し、人々の絆が著しく弱まり、国民の不安は一層増大した。」というのも違うよねと思うわけですが、もちろんこれを真実であると信じる(いや一面の真実もあることは私も否定しませんし)こともまた個人の自由ではあります。でも議論は難しいだろうなとも思うわけで、まあ自己満足の文書なのかなという感じです。
もちろん、これは過去のエントリでもたびたび書きましたが、たしかに政策においては理屈や事実だけではなく感情や感覚への配慮も必要だとは思います。とはいえあまりに感情に走ったり、情に訴えるばかりではやはりまずかろうとも思うわけで、たとえば現在の行き過ぎた公務員叩きなんかも、まさに(連合に限らず)あちこちで「官僚や族議員の利権がはびこり自由な選択が制限された仕組みに対しては、不満と苛立ちを強めていた。」といった情緒的な言論が繰り返されたことの弊害という一面もあると思うのですが。
あと、「生産性三原則は公然とないがしろにされた。」というのも本当かよと思うわけですが、それ以前にあなたがた公然とないがしろにされてうれしいんですかという印象を私などは持ってしまうわけで、もちろんそんなことはないのでしょうが、いや連合には生産性運動に共感しない組織もありそうなので、実はないがしろにされて喜んでいるのかもしれないなどと悲観したりもする私。
第2章は連合のいわゆる「働くことを軸とする安心社会」のイメージが語られる部分ですが、ここに入るととたんに口汚くののしるトーンから穏健なトーンにかわり、かなり読みやすくなります。
書いてあることもなかなか美しく、就労促進的な再分配強化が必要だという点はそのとおりだと思いますし、「4.雇用の質的強化と機会創出」などは実にいいことが書いてありますが、全体としては政策論としてはまことに失礼ながら「みんなが三階建てでプール付きの家に住めればいいね」という小学生の作文と大差はないなという印象もあります。ばら色の夢物語を書くことには成功していると思いますが、現実には再分配を強化すれば負担の増える人もいるでしょうし、労働時間が短くなれば収入も減るでしょう。連合のいうようなワークライフバランスをやろうとすれば、スーパーマーケットは18時で閉店してしまうかもしれません。それでいいと思っているのか、わかっていて知らん顔をしているのかはわかりませんが(というかそもそも連合内部で意思統一できているのかも知らないのですが)、いずれにしてもあまり責任ある態度とは思えません。
あとここで描かれる社会像はたしかに立派なものですし、ひとつの理想としてこれを目指したいと考える人もいるだろうと思いますが、私の印象としては、落ち着いて考えるとずいぶん不自由で息苦しい一面もある社会像ではないかという感じもしています。したがって私自身は全面賛成とまではいかないかなあと、まあ印象ですが…。
第3章は「働くことを軸とする安心社会」の社会システムの説明で、ここも文章は読みやすく内容も随所でいいことが書いてあります。ただ、たとえば

 第一に、誰もが納得する公正な社会のかたちが示されてこそ、負担を含めての合意形成を進めることができる。「働くことを軸とする安心社会」は、財政的にも持続可能な社会のかたちを示している。人々の能動的な社会参加と就労をすすめ、能力を高める社会への支出は、未来への投資であり、課税ベースを拡げて財政を支えることになる。
 第二に、政府への信頼醸成を進めるためには、行政の無駄を徹底的に排除しながら、本当に必要とされている分野において、人々のニーズに届く政策や制度を実現していくことが求められる。納めた税や支払った保険料が役に立っているという実感を持てるならば、自ずと政府に対する信頼も増す。社会保障勘定や、子ども・子育て基金のような歳入と歳出の関連を見えやすくする制度も必要である。さらに、分権化の意義についても強調しなければならない。人々により近い自治体の政府と議会が、人々と共に税の使い道を決め、人々とともに政策を執行することは、政府の信頼を高める上できわめて有効だからである。「税と社会保障の共通番号制」の導入によって、税の透明度を高めることも信頼醸成を図る上で不可欠である。

「誰もが納得する公正な社会のかたちが示されてこそ、負担を含めての合意形成を進めることができる」なんて言ってたら、いつまでたっても負担には合意できませんぜ。「誰もが納得する公正な社会のかたち」なんて、たしかに言葉としても理念としても美しいとは思いますが、しかし最も非現実的な話でもあるでしょう。というかそんなものがあるのならとっくにそうなっているはずで、それが不可能だから話し合いとか多数決とか、まあ多少なりともそれに近づくかなあという仕組みをとらざるを得ないわけで。
「本当に必要とされている分野において、人々のニーズに届く政策や制度を実現していくことが求められる。納めた税や支払った保険料が役に立っているという実感を持てるならば、自ずと政府に対する信頼も増す。」ってのも同じことで、あなたのニーズはそれかもしれませんが私のニーズはこれなんですという利害の不一致は当然あるわけですし、あの人は恵まれているのに私はこんなに我慢させられてるなんて政府はなにやってるんだという気持ちも多くの人が持つものでしょう。幅広いウィングの組織が参加する連合は、こうした利害の調整の場としてきわめて有意義な存在となりうるものだと思いますし、それを大いに期待したいところなのですが…。
もちろん、連合もより具体的な政策提言ではもっと踏み込んだ意見を発信しているわけですが、しかしこれだけを読むと、労働者間の利害対立についてはとにかく負担から逃げているだけという印象は禁じ得ません。
第4章については本当に余計なお世話になりますが、その意欲と使命感には敬意を表したいと思います。その中で残念なのは、「経営者にも『組合があってよかった』と言わせるような労働運動」という発想がほとんどないことで、まあこれは「経営との対決」を組織統一の拠り所としている以上どうしようもないことなのかもしれませんが、しかし今日ではそうした発想こそが重要だろうと私は思います。そのほうがおそらく組合員の主体的な参画も得られやすいのではないでしょうか。