労働政策を考える(17)受動喫煙

続いて、「賃金事情」弟2589号(7/5号)に掲載したエッセイです。
http://www.e-sanro.net/sri/books/chinginjijyou/a_contents/a_2010_07_05_H1_P3.pdf


 受動喫煙

 さる5月26日、厚生労働省の「職場における受動喫煙防止対策に関する検討会」が報告書を発表しました。職場での分煙対策については、平成4年の労働安全衛生法改正で使用者に快適職場環境形成の努力義務が課され、その指針の中に「必要に応じ作業場内における喫煙場所を指定する等の喫煙対策を講ずること」が織り込まれました。平成14年に制定された健康増進法では、学校をはじめ体育館や病院、劇場、百貨店、官公庁、飲食店など、多数の人が利用する施設の管理者に、利用者の受動喫煙防止の努力義務が定められました。
 こうした中で職場の喫煙対策も進んでおり、厚生労働省が常用労働者10人以上の企業を対象に実施している「労働者健康状況調査」によれば、平成14年調査ではなんらかの喫煙対策を実施している企業は全体の59.1%だったのに対し、平成19年調査では75.5%となっています。中でも特に効果があるとされる「全面禁煙」については14.2%から24.4%に増加しており、「喫煙室を設けそれ以外を禁煙」は37.0%の実施率となっています(複数回答、喫煙室については平成14年は調査せず)。職場で受動喫煙を受けている労働者の割合も、平成14年の71.8%から平成19年は65.0%と減少しています。もっとも、改善はしているもののまだまだ十分ではなく、職場になんらかの喫煙対策の改善を希望する人の割合は平成14年の90.7%が平成19年には92.2%とむしろ増えており、受動喫煙に関する意識の高まりに職場での対応が追いついていない現状にあるといえそうです。
 この間、平成15年に世界保健機関(WHO)で「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」が採択され、わが国は平成16年に署名、平成17年には発効しました。この条約はたばこの取引や広告、価格・税などについて幅広い規制を含んでいますが、受動喫煙については第8条に定められており、屋内の職場、公共の輸送機関、屋内の公共の場所などにおける受動喫煙の防止が求められています。さらに、平成19年に採択されたこの条約の「第8条履行のためのガイドライン」では、受動喫煙には安全というレベルはなく、完全に防止するには100%禁煙とすべきであり、換気、空気ろ過、指定喫煙区域の使用等では不十分であること、すべての屋内の職場及び屋内の公共の場は禁煙とすべきであること、単純、明快で強制力をもつ立法措置が必要であって自主規制による禁煙対策は不十分であることなどが示されており、かなり高度な水準が求められています。
 国際的に見ても、欧米ではかなり厳しい規制を実施している例がみられます。米国では連邦法による規制はありませんが州法で規制されており、たとえばカリフォルニア州では「職場の閉ざされた空間内において、使用者は故意に喫煙を許可してはならず、また、何人も喫煙をしてはならないと規制している。一般的なレストラン、バーでの喫煙は不可(ただし、一定の要件を満たす喫煙室等については除外されている)」、ニューヨーク州では「職場、レストラン・バー等の飲食店、公共交通機関等では喫煙禁止(喫煙室の設置そのものが禁止されていると解釈されている)。ただし、会員制のクラブ、一部のシガーバーやレストランの屋外席の一部を除く」とされているそうです。欧州でも、イギリスも全国レベルの規制はないものの、イングランドでは「レストラン・バーを含めた屋内の公共の場、職場及び公共交通機関において喫煙禁止」であり、ドイツでは「使用者は非喫煙者がたばこの煙による健康被害をこうむることがないよう必要な措置を講じなければならない。必要があれば、職場の全部若しくは一部に限定して喫煙禁止を定めなければならない。ただし、飲食店等接客業の使用者は事業の性質や労働の種類に照らして可能な限りで保護措置をとる義務を負う」、フランスでは「多数の者が共用する場所(企業、レストラン、公共交通機関等)においては、換気型の喫煙室を除き、喫煙は禁止される」といった規制が行われています。
 このように情勢が変化する中で、厚生労働省はまず平成20年3月に「受動喫煙防止対策のあり方に関する検討会」を発足させ、平成21年3月に報告書を発表しました。これまでは施設の態様や利用者のニーズに応じた適切な分煙対策も必要とされていましたが、この報告書では基本的な方向性として「多数の者が利用する公共的な空間については、原則として全面禁煙であるべき」ことを打ち出し、分煙については「社会情勢の変化に応じて暫定的に…とり得る方策の一つ」という位置づけとしました。
 この報告書では職場における受動喫煙防止対策については「今後の課題」となり、厚生労働省は昨年7月にあらためて「職場における受動喫煙防止対策に関する検討会」を設置して検討が進め、その報告が今回まとまったわけです。
 内容をみると、基本的方向として「快適職場形成ではなく、労働者の健康障害防止という観点から対策に取り組む」「労働安全衛生法受動喫煙防止対策を規定する」ことが示されました。その上で、快適職場ではなく労働者の健康障害防止のために対策に取り組むことが必要であることから「事業者の努力義務ではなく、義務とすべき」と義務化を求めました。労働者に対しても「労働者が、当該措置に関する事業者の指示に従うべきことは言うまでもない」としています。
 具体的な措置としては、一般の事務所や工場においては全面禁煙または喫煙室の設置による空間分煙とすることが必要としています。また、飲食店、ホテル・旅館等、顧客が喫煙するため全面禁煙・空間分煙が困難な職場では、「顧客に対して禁煙等とすることを一律に事業者に求めることは困難」としながらも、喫煙区域の割合の減少、換気等の設備的対応、保護具の着用等の措置により、「可能な限り労働者の受動喫煙の機会を低減させることが必要である」としています。いずれは、喫茶店のウェイターや居酒屋のフロア係が喫煙席では防塵マスクや防毒マスクを着用して接客するようになるのかもしれません。
 今後は、近日中に労働政策審議会で公労使による議論に入るものと思われますが、全面禁煙または喫煙室の設置による空間分煙が義務化されれば、企業としても対応が必要となります。報告書には中小企業が飲食店などに喫煙専用室を設置する場合などには財政的支援を行うとの記載もありますが、そもそも喫煙はしないことが望ましいとされる中で、喫煙への便宜のために公費を支出することは理解が得られにくいと思われ、こうした支援はかなり限定的なものになりそうです。スペース不足などの問題もあり、喫煙室の設置を見送って全面禁煙に踏み切る企業も多数出てくるかもしれません。この場合、使用者にとっては「禁煙」の表示を設置するくらいですみ、ほとんど負担が発生しない可能性があります。
 いっぽうで、愛煙家にとっては全面禁煙は不便な話ですので、義務化された場合には労働組合喫煙室の設置を求めて団体交渉を求めるといったことも考えられます。組合員の中にはむしろ全面禁煙を積極的に希望する人もいるでしょうから、労組としても組織内の意思統一が難しい局面もあるかもしれません。