理系人材を大事に処遇しよう

ちょっと世間についていけてない感じですが、9日の日経新聞の社説をとりあげます。「人材立国ふたたび」というシリーズ物で、今回のお題は「理系の才能育み大事に処遇しよう」です。

 日本はこれからも「技術立国」を自負できるのか、危うい。肝心の技術者が手薄になりつつあるからだ。
 韓国のサムスン電子には、半導体や液晶パネルなど4つの事業部門に相当数の日本人技術者がいるといわれる。サムスン側は明らかにしていないが、各部門で100人を超えると電機業界の関係者はみている。
 中国や台湾の企業に転じる日本人技術者も後を絶たない。電機や情報産業を中心に人材が活躍の場を求めて海外の大手や新興企業に移る。
経済産業省の調査によれば、人を介した企業からの技術流出は、日本人の退職者を通じた例が外国人従業員などを上回り、38%で最も多い。技術者の流出で競争上、不利になる。
(平成22年5月9日付日本経済新聞「社説」から、以下同じ)

そういえば経団連の油木さんが以前「技術立国ふたたび」という本を書いていたなあと思い出しましたが、それはそれとして。
「学生の理工系離れ」はずいぶん前からいわれているわけですし、これから若年人口が減少することなども考え合わせれば、たしかに「肝心の技術者が手薄になりつつある」かもしれませんし、少なくとも将来的には大いに懸念されるところでしょう。それに対して「才能育み大事に処遇」することの重要性も同感できるものです。
ただ、日経の社説のこういう議論には少し違和感があります。なるほど、日本で育った技術者が海外に渡って海外企業で就労するのが「もったいない」、せっかく多額の国費をかけた高等教育で育成したのに惜しい、という感覚はよくわかります。ただ、いっぽうで、やはり素朴な感覚として、多くの日本人技術者が海外で必要とされ、現に活躍しているということは、それなりに日本の技術者育成がうまくいっていることの現れではないかとも思えるわけです。個別にみればミスマッチはあちこちにあるでしょうし、特別に高い能力を持つ技術者に関しては欲を言ったらきりがないわけで常に不足しているでしょうが、基本的には日本国内で技術者の需要が充足しているのであれば、それを上回る分が海外で活躍するということは大いにけっこうなことでしょう。それはおそらく競争を通じて日本企業の成長も促すでしょうし、仮に競争激化が国益に逆行するとしても、国際社会全体でみれば間違いなく利益でしょう。
ですから、まず大切なことは、それだけの優れた技術者がいるわけですから、それが有効に生きるようなビジネスを国内に増やしていくことのはずで、それにはたとえば法人税減税のような企業活動・投資の活性化をはかる施策が求められるでしょう。

 有能な技術者をどう育むか。海外企業に移った技術者の声を聞くと、研究成果がきちんと評価されなかった不満が多い。
 真っ先に取り組むべきは報酬制度の改革だ。海外企業が2倍の年収を約束して、日本企業から技術者を獲得する例はざらだ。発明などの実績に見合う報酬制度を徹底すべきだ。
 例えば三菱化学。営業利益への貢献度などに応じ最高2.5億円を支払う。思い切った制度でなければ、技術者をひきつけられない。
 関心のある分野の研究開発を掘り下げたい。そうした技術者の心理に応えるのも有効だ。日本ヒューレット・パッカードは人事異動を原則として社内公募で決める。ソフトウエア開発者など技術系社員の配置換えは7割以上が本人の意思による。

まあ、今までの日本企業でのキャリアを捨てて、海外企業に転職して海外で就労させようということであれば、もともとの水準にもよりますが「2倍の年収」が驚くほど高いとも思えません(約束されるのが年収だけで、定年までの雇用は約束されないのであればなおさら)。社員の研究成果(でも能力でも貢献度でもなんでも)に対する企業と社員の評価が異なるのもむしろあたりまえのことで、満足している人はむしろ少数、大半は不満はあるけれど渋々納得して、どうしてもがまんできない人は退職(転職)することもあるでしょう。こんな評価なら辞めてやると言われて、辞められて困るなら評価を上げるしかないわけです。逆に「だったら辞めてもいいよ」という話で、それで転職して本人の能力がよりよく生きるならまことにご同慶なわけです。
いっぽう、人材を確保して定着をはかるためにはそれなりに魅力的な労働条件を提示しなければならないのは当然のことで、それができていなくて定着が悪い、人材の流出が進んでいるというのであれば対策は急務でしょう。
このとき、労働条件と一口に言ってもその実情は多様かつ複合的で、どんな労働条件が魅力的かは人によっても異なります。社説が推奨するような高額の成功報酬に魅力を感じる人も一定数いるでしょうが、むしろ安定的な月例賃金の上昇のほうが魅力的だという人もいるでしょう。当然、社説もいうように「関心のある分野の研究開発を掘り下げ」ることができることに大きな魅力を感じる人もいるわけです。その企業がどんな人材を求めているかにより、それに応じた労働条件のパッケージをつくることが大切であり、必ずしも「思い切った制度でなければ、技術者をひきつけられない」わけでもありませんし、すべての企業が「発明などの実績に見合う報酬制度を徹底すべきだ」というわけでもないでしょう。まあ、もちろん事例としては大いに参考になるわけですが、ここまで言い切るのはどうかなと。
なお、現状ではほとんどの企業が理系と文系で同じ初任給を設定しているわけですが、これが本当にいいのかどうかは再検討の余地があると私は考えています。工学部卒と経済学部卒とでは投入した資源の量がかなり違うことは周知であり(ウラを取ったわけではないので自信はありませんが)、同じ「学士」だから初任給も同じ、で本当にいいのか、ある程度の差はあってもいいのではないか…とも思うわけです。企業によっては、入社後の昇給や昇格などで差がつく運用をしているのかもしれませんが、であればなおさら、初任給というのは広く目につく指標ですので、わが社は理系を大切にしています、というシグナルとしてはまことに有効なのではないかと思うのですがどんなもんなんでしょうか。

 団塊の世代が定年後に海外企業に移った例が目立つ。それだけに、実績を上げた技術者を雇用し続ける制度を考えたい。東芝東芝リサーチ・コンサルティングという受け皿会社を設立。定年を過ぎた約50人の技術者が専門の研究を続け、研究開発のテーマなどを助言している。若手技術者を育てる効果もあろう。

これも同様、定年後も必要とされる技術者はすでに必要に応じて再雇用されているでありましょう。そういう技術者がある程度以上いるのであれば、東芝のように別会社を作ったほうが労働条件などを柔軟に設定できて好ましいという考え方もあるでしょう。逆に、現在勤務している企業では定年後までは必要とされていない、しかし他社では求められているスキルがある、というのであればそちらに再就職すればいいわけで、実際にそれでうまくいっている人も企業も多数にのぼるでしょう。それがたまたま海外であっても、それはそれでおおいに結構なことではないでしょうか。もちろん、企業が多額の資金を投入して開発した技術を簡単に持ち出されてはたまらないということはあるわけですが、そういうケースでも、技術の流出を防ぐ意図で雇い続けるか、ある程度の流出は致し方ないとした上で機密保持特約などで対応するのかは各企業がケースに応じて判断すべきことでしょう。


 理科系教育も今のままではダメだ。何より高等教育の中身を見直すときだ。政府は大学院教育に力を入れ、博士課程の在籍者は20年で2.5倍の7万4000人になった。だが少子化で今後は大学の定員が減り、大学教員への道は狭まる。
 ドクター(博士)が企業でも活躍できるように、文部科学省や大学は博士課程の中身を改めないといけない。単に好奇心で研究するのでは富を生み出せない。フィンランドなど技術立国を志向する北欧諸国のように、研究が社会にどう役立つかの視点を履修者にもっと持たせたい。

これは悩ましいところで、民間(に限らないか。社会)のニーズと教育分野との間にある程度のミスマッチがあることは致し方ないわけですし、理系であっても特定専門分野の知識・能力だけで仕事ができるわけでもありません。これは本当のところがどうなのかはわかりません(いい調査はあるのだろうか)が、実務実感としては、大学の専攻分野と民間就職した際の仕事との間のミスマッチは世間で考えられている以上に大きいのではないかと思っています(根拠なしのまったくの感覚ですが)。まったくの無関係ではなく、多少なりとも関係はあるからまあいいか、というマッチングがけっこう多いのではないでしょうか。もちろん、高度な研究を行うことで、研究開発に一般的に求められる高度なスキルが身につくということはあるでしょうが、それは企業の研究所でも身につくものであるのなら、大学院教育、特に博士課程で過度に特定の専門分野にインボルブしてしまうことが(民間就職を前提に考えたときに)本当にいいのか、という問題は再考されるべきなのかもしれません。
さて、これ以降は理系とか技術者とは関係ない議論になります。


 今より少ない労働力で経済を成長させる。そのためには、500万人余りが働く建設業など需要が伸びない分野から、医療、介護や環境関連といった成長分野へ人材を移す戦略も欠かせない。
 職を変えることは容易でなく、摩擦も少なくない。産業構造を変えるためには、地道に人材を育てていく必要がある。
 雇用の増える分野で求められる技能や知識を求職者に身に付けさせるほかない。それなのに国や都道府県による公共職業訓練は時代遅れになっている。内容を見直すべきだ。
 施設での訓練は今なお受講者の4割強が製造業でも溶接などや建設現場向け。その訓練は主に中小企業向けに限り、国や都道府県は訓練施設での教育を民間に任せた方がよい。…民間を競わせ、訓練内容を時代に合ったものにしたい。

もちろん職業訓練は重要です。「建設業などで人員が余剰→その人たちに職業訓練→介護などに移動」というのも、たしかに脳内で描くには美しい絵柄であるに違いありません。とはいえ、社説も指摘するように、それは容易ではなく、摩擦も少なくありません。
もちろん、建設業に従事していて仕事のあまりない人が、この際仕事が増えそうな介護分野に転職をはかろうとして職業訓練を受けることは非常にすばらしいことであり、そうした人のための訓練コースは準備されていることが望ましいでしょう。新興の産業・企業には企業内での人材育成力が必ずしも十分でない場合もあるでしょうから、公共(に限らず外部の)職業訓練の必要性はあるものと思います。
とはいえ、日経の論説委員のみなさんがいまさら建設現場では働けないように、建設業に従事していて仕事のあまりない人たちの中には、この歳まで建設現場で働いてきたのに、いまさら介護の訓練を受けて転職しろって言われたって無理だよ、という人だっているでしょう。そういう人には建設現場でなるべく長く働けるようにするための職業訓練や、まだしもなじみやすい職種で働けるようにするための職業訓練が必要なのではないでしょうか。たしかに時代遅れではあるでしょうが、しかし必要だろうと私は思います。そして、そうした分野で国や自治体の訓練に蓄積があるのなら、それを活用してもいいのではないかと思います。
「訓練を通じて成長分野に移動」というのは、絵柄としては美しいですが、一定の限界があることは認識しておかなければならないでしょう。成長分野への人のシフトは新規参入者を中心に行われるのが望ましく、現状で言えば新卒者が建設業ではなく成長分野により多く就職する方向に誘導することが大切でしょう。それには新卒者が就職しようと考えるくらいにそれらの産業における就労が魅力的なものである必要があるわけで、現状そうでないならばそうしていくための取り組みが最重要なのではないでしょうか。それで成長分野が本当に成長し、労働条件が良好になってくれば、そこに転職しようという人も増えてきて、自然に人の移動は起こるはずです。昨今、一部の論者の中には、「成長分野」において低賃金労働が不足だから人の移動が必要だ、そのためには他の産業の労働者を解雇しろ、そうして喰うに困らせれば「成長分野」に低賃金労働が供給されるはずだ…と言わんばかりの論調がみられますが、まことに本末転倒と申し上げざるを得ないでしょう。
※エントリ内容とは直接関係ありませんが、話題に出しましたのでご紹介しておきます。

技術立国再び―モノ作り日本の競争力基盤

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