東京財団「新時代の日本的雇用政策」その3

ということで昨日の続きで、東京財団の「新時代の日本的雇用政策〜世界一質の高い労働を目指して〜」http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdfから「【6】無期雇用の制度」をご紹介したいと思います。
内容的には興味深い論点をいろいろ含んでいるのですが、書き手の熱意が前の章ほどではない(文体はまずまず統一がとれているように感じますが、章によって書き手が違うのかもしれません)ような印象で、内容も比較的穏健です。まず最初の政策提言をみますと、

(政策提言)
・解雇をめぐる個別紛争について、総合労働相談制度や労働審判制度の機能を強化する
・違法な解雇が行われた際の、労働者の申し立てによる金銭賠償の制度を設ける
・労働時間について、新たに残業時間の総量規制を設ける
http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdf

解雇については規制緩和を主張していないようです。

…「アメリカに倣って解雇規制を緩和する」といったとき、まず労働法に「解雇は自由である」と規定した上で、別途恣意的・差別的な解雇を規制する法律を作り、その中身を確定していく作業が必要となるが、その結果現れる状況が、現在の解雇規制による正社員の「クビにしやすさ」とどれだけ異なるか、疑問である。
 解雇規制緩和論者が議論する際に想定しているのは、経営上の理由による解雇の中でも、生産性の低下した労働者を、その事実を理由にピンポイントで解雇する場面だと思われるが、現実の場面では、ある労働者を解雇しようとうするとき、その労働者の生産性が他の労働者に比べて低いことを明らかにするのは容易ではない。そういう経営者の認識と労働者の認識が異なるからこそ紛争が発生するのであり、労働者側の心理としては、「生産性の低下はあくまで名目で、実際には差別的・恣意的な解雇がなされた」という思いが裁判に踏み切る強い動機となるのである。
 だからこそ、アメリカでは、整理解雇を行う際にも、「勤続年数の逆順」といった、客観的にわかる基準を事前に明確にした上で解雇を行う。それであれば、職場の誰もが納得するからである。日本の解雇規制に手を加えて、そのような状況に実務を誘導してしまうとすれば、解雇規制緩和を主張する論者が批判する年功制を逆に強化することとなる。そのような政策がどのくらい合理的なのかは明らかではない。

やや議論に混乱がみられるのですが、「解雇規制緩和論者が議論する際に想定しているのは、経営上の理由による解雇の中でも、生産性の低下した労働者を、その事実を理由にピンポイントで解雇する場面だと思われる」というのが妥当な理解かどうかは微妙なところです。
これは私の雑駁な理解なのですが、解雇規制緩和論者の主張には大きく2通りがあり、ひとつが経営上の理由の中でも、いわゆる整理解雇に関する規制緩和です。
現状、労働者になんら非がないにもかかわらず経営上の事情で余剰人員を解雇する整理解雇については、高度の必要性、回避努力、人選の合理性、労組などへの説明手続のいわゆる4要素(4要件)によってその正当性を判断するとされていることはよく知られていますが、これが厳格すぎて効率的な企業経営・経済活動を阻害しているという主張で、たとえば八代尚宏国際基督教大学教授などが代表例です。具体的な規制緩和としては、「高度な必要性」の要素を外して経営者の判断に委ねる(もっとも、現実の裁判例をみると、裁判所は経営者の判断を尊重する傾向にあるそうですが)ものとするとか、回避努力の中で、非正規労働の雇止めの前置を求めないこととするとかいったことが主張されています。つまり、人選の合理性などについては認めているわけで、世間で思われているようにまったくの解雇規制撤廃を主張しているわけではありません(八代先生は、であって、完全撤廃を主張している人は別にはいるのでしょうが)。人選の合理性に関しては米国同様の差別禁止をおくとすれば、これは要するに引用の最初にある「アメリカに倣って」に近いわけで、まあ今のわが国よりは多少は解雇しやすくはなるのでしょう。ちなみに、hamachan先生こと濱口桂一郎労働政策研究・研修機構統括研究員など、非正規労働の雇用の不安定さを高め、労働市場の二極化を招いているという理由で回避努力の規制緩和を求めている人もいます。
もうひとつが、「生産性の低下した労働者を、その事実を理由にピンポイントで解雇する」ということに関するもので、解雇の正当事由となりうる要件が厳しすぎる、というものです。極端に生産性の低い労働者は解雇したいとの経営上の理由は、これは仮に経営が順調であったとしてもありうるものでしょう。
これについては、たとえば有名な高知放送事件では、寝過ごして朝のラジオニュースに2回穴をあけたアナウンサーの解雇について、(くだいて言えば)夕方のニュースなら問題なくこなせるのだから解雇は行き過ぎだ、というような判決が出ています。このあたりはどこまでが正当事由かというのはたしかに人により判断は異なるでしょう。たしかにこれは仮に訴訟となった場合に多大なコストを要し、しかも予見可能性が低いことから、企業は結局のところ生産性の低い労働者でも解雇までには踏み切らず、処遇を抑制しながらほどほどに活用するという方針をとることが多いようです。もちろん、これは労働者の側からも、それは誰にも起こりうるリスクであり、その場合に解雇が行われないことで他の労働者の処遇まで抑制されるとしても致し方ないと考えられているからこそ採用しうる方針であることに留意しなければなりません。
米国においては、整理解雇においては「高度の必要性」や「回避努力」については制約がないに等しく、人選の合理性について差別禁止などの観点から先任権順によることが労働協約などで定められている一方で、生産性の低さを理由とした解雇はそれとは別に(日本に較べれば相対的に)日常的に行われています。もちろん、女性やアフリカ系などといったマイノリティを解雇した場合は訴訟のリスクがあるわけですが。
まあ、ここで念頭におかれている解雇規制緩和論者は、中高年の正社員には賃金に較べて生産性の低い人がたくさんいるはずだから、そういう人を解雇できるようにすべきだ、といったことを主張するより俗っぽい人たちのことなのかもしれません。たしかにそういう論者は年功制を批判しますが、仮にわが国で解雇がより自由になった場合にも、おそらくはそれなりに知識や経験を積んだ中高年より未熟練の若年のほうが先に、より多く解雇されるものと思われます。これは結局米国の先任権順に近いわけで、逆に米国でも先任権順というのはそれなりに技能が高いだろうとか企業への貢献実績が大きいだろうとかいう根拠もあるのでしょうから、まあ順当でそれなりに合理的な話なのかもしれません。
その後、現実にはわが国でも整理解雇などがそれなりに雇用調整の手段として活用されており、今回・前回の雇用調整期にはその増加が観察されることなどが指摘され、その理由が労使関係の安定に求められます。

 解雇者数が増加しているにもかかわらず、日本における解雇をめぐる紛争の比率は低下しており、解雇をめぐる紛争はむしろ安定化の方向に向かっている。
 解雇紛争安定化の原因は、労働組合の紛争を背景にした解雇紛争が多く発生した70年代を経て、80年代以降労使協調路線への転換が行われたことが背景にあるものと考えられる。労働者集団内の政治的対立が表面化しなくなり、労使間で企業や個別労働者のおかれた状況を事前に共有することで、いざ整理解雇となっても、従業員の納得を得やすい環境を整備してきた。90年代以降、希望退職のノウハウが企業に蓄積されたこともこの低下に寄与しているだろう。
 会社内の大多数の人間が明らかに生産性が低いと認めるような労働者が解雇されることについては、そもそも紛争も起こりにくいのである。

整理解雇のあとに突然低生産性を理由とした解雇の話が出てくるのがやや唐突ではありますが、要するに一部の論者がいうようにわが国では解雇ができないのではなく、どうしても必要であればきちんとした手続きの下に可能なのであって、現実にも行われているという話です。たしかに手間はかかりますし、組合への説明ではイヤなことも言われるでしょうし、その過程で経営陣の責任も明らかにならざるを得ないこともたぶん事実でしょうが、しかしだから解雇規制を緩和せよというのは、経営陣の怠慢もしくはエゴと申し上げるべきものなのかもしれません。
また、解雇規制を緩和して労働市場を流動化し、高付加価値産業へ労働力を移動させて生産性を高めるべきだ…といった主張に対しても反論しています。

 実は、現在の法制度においても、解雇自由に近い社内組織を作ることは可能であるにもかかわらず、どこもやっていないという事実がある。例えば、全社員を1年の有期雇用とし、雇い止めの可能性は誰にでも常にあるということをアナウンスして雇用継続の期待を持たせないようにしつつ、解雇したい労働者については契約更新を行わない、という運用を行えば、現在の法制度の下でも解雇自由に近い状況が実現するが、そのような経営をしている会社は存在しない。そのような会社では生産性の上昇など到底見込まれないことを経験的に知っているからと考えられる。
 また、第一章でも述べたとおり、これまで日本企業は、正社員については長期的な雇用保障と引き換えに長期のコミットを求め、企業に特有の技能を身につけることを奨励し、それにより生産性を高めてきた側面がある。解雇規制の緩和というものが法制的に可能であったとしても、それが逆にこれまであった日本の強みを失わせる危険性も伴っている。
 結論としては、解雇規制に手を加えることで生産性を向上させるよりも、政策手段としては本政策提言の他の章に掲げるようなものを打ち出していくべきである。

必ずしも根拠が明らかではないという批判はあるのかもしれませんが、それにしても実務実感にはよく一致した議論ではあると思います。「本政策提言の他の章に掲げるようなものを打ち出していくべきである」という最終結論には残念ながら同感しかねるわけですが(笑)。というか、前章にあるように有期雇用契約を事実上禁止してしまったら、長期雇用のメリットも得られなくなってしまう、まさにパッケージなわけなんですが、あれはあれ、これはこれと個別の議論に特化するとこうした妙なことになってしまうのですねぇ。もっとも、この提言書にも、103万円(130万円)の壁をなくすとか、インチキな派遣業者を排除するための参入規制の強化とか、有期雇用の期間を制限しないとか、真剣に検討すべき提言もいくつかあります。
さて、解雇の金銭解決については、非常にあっさりした記述にとどめられています。

 実際には、違法解雇には納得できないが、職場には戻りたくないといったケースも多いものと考えられる。したがって違法解雇の際には、現職復帰という原則は維持しつつも、労働者側からの申し立てによる金銭解決の選択肢を用意すべきである。

まあそれはそのとおりでしょうが、場合によっては職場の雰囲気をいたたまれないものにしていた労働者が解雇され、手続上の瑕疵などを理由に解雇無効となるといったケースも実際にあるわけで、そうした場合の職場の負担を考えれば使用者からの申し立てによる金銭解決も可能とすべきでしょう。もちろん、それが必要な労働者保護を欠いてはいけないわけですが、そこは技術的に解決すべき問題です。また、この提言書では有期雇用の禁止を提言しているので議論の余地はなかったのでしょうが、有期雇用の雇止めにも金銭解決(これは違法解雇の金銭解決ではなく、疑問の余地なく雇止めを有効に成立せしめる手続きのひとつとしての金銭給付になりますが)が検討される必要があるでしょう。
最後に労働時間規制についても触れられているのですが、

 現行の法制度では、労働時間の上限規制はなく、時間外労働をした際に割増賃金を義務付ける規定のみである。労使で36協定を結び、割増賃金さえ払えば何時間でも働かせて良いということになっている。割増賃金の議論は、あくまで賃金の議論であり、そこに政策思想として“健康”という考え方は入っていない。
 そもそも、正社員にこれだけ多くの過剰就業感があるということは、正社員において時間当たり生産性は低下している可能性が高い。原因としては、日本では中途採用労働市場が未発達で転職がしにくく、いったん正社員として就職してしまうと企業が内部労働市場の買い手独占状態になることが指摘されている。
 正社員の健康という観点はもちろん、非正社員の職を正社員の過剰労働が奪っているという側面もあり、何らかの労働時間規制を導入するべきである。制度としては、労働時間の上限の設定や、ヨーロッパ型の連続休憩時間規制の導入などが考えられるが、現在過少に評価されている正社員の長時間労働のコストを表面化するようなルールが望ましい。例えば企業ごとに一人当たり時間外労働時間数を出し、それに労災保険の料率をリンクさせるなどの手段も考えられる。

非常にあっさりとした記述で意図が十分に汲み取れないのではありますが、健康や正規・非正規のワークシェアリング/ジョブシェアリングという観点から労働時間の上限規制が望ましい、ということのようです。「現在過少に評価されている正社員の長時間労働のコストを表面化するようなルールが望ましい」となると、まず考えられるのが割増率の引き上げですが、これは「割増賃金さえ払えば何時間でも働かせて良いということに」なりかねないことに加えて、所得選好の高い労働者に対してはかえって長時間労働インセンティブを増やすことも考慮されて政策提言からは除外されたのでしょうか。長時間労働に対して労災保険料でペナルティを課すというのは、長時間労働になるほど労災も増えるだろうという考え方なのかもしれませんが、すでにメリット制が適用されている中でどのような設計にするのかは難しいものがありそうです。「労働時間の上限の設定や、ヨーロッパ型の連続休憩時間規制の導入などが考えられる」とも述べられていますが、例示にとどまっており、まずは現実的な記述といえそうです。今後の検討課題ということでしょうか。このブログでも時々書いていますが、労働時間概念そのものの考え方に立ち返って議論する必要があるように思います。