三者構成の堅持

あちこちからお呼びがかかっていてたいへんうれしいのですが、なかなか応答する時間がなく・・・すみません。同情するなら時間をくれ、というのは児美川先生の名文句でしたっけか。
さて、週末にhamachan先生のブログを読んでいて、これに引っかかりました。
日本経団連『経労委報告2010』その1 三者構成原則の堅持
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-3a6b.html
まずいきなり余談なんですが、

 毎年春闘に向けて恒例の日本経団連の『経営労働政策委員会報告』が出ております。以前はHPに概要が載っていたのですが、最近は目次しか載らなくなってしまい、連合の批判だけが全文で読めるという皮肉な状態です。
 いや、たった600円なんだから横着せずにちゃんと買って読んでくれということですね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-3a6b.html

すみません、って私が謝ることじゃありませんが、「日本経団連タイムス」のページに概要が掲載されておりますのでご覧下さいませ。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2010/0121/01.html
このような扱いになっているところに旧経団連と旧日経連の力関係が現れていると感じるのは勘繰りすぎというものでしょうか。
さて本題ですが、hamachan先生は経労委報告が三者構成原則に言及したことに注目されたようです。

 さて、今年の経労委報告で、私が一番注目したいのは「労働政策の決定プロセス」という項目です。

>労働政策は、企業経営に多大な影響を及ぼすほか、労働者の生活と密接に関わってくることから、その決定に、職場実態を熟知している労使が関与することは、現場での大きな混乱を減らし、法令遵守の徹底を図りやすくするという利点が認められる。

 そのため、公労使三者構成で構成される審議会の結論を最大限尊重していく従来の決定プロセスを今後とも堅持することが重要である。

 今の時点で日本経団連三者構成原則を強調するのは、もちろん連合が支持し、日本経団連は支持してこなかった民主党政権になってしまい、政治主導でやられると、自分たちに不利な政策が、自分たちが関与することが出来ないままで実行されてしまうかも知れないという危機感によるものであることは明らかですが、この問題をそういう表層的な政局レベルでだけ捉えるべきではないということは、本ブログや累次の論文などで述べてきたところです。

 ある意味では、90年代末以来、規制改革会議が主導する形で労働政策の枠組みが決定され、三者構成審議会はそれを実行するだけという事態も部分的に出現したわけですが、そういうあり方はよろしくないものであるということを、日本経団連としてきちんと確認したという意味で、なかなか意義深い文章であると思います。

 実際、政権交代で何でもかんでも政治主導で進めるという雰囲気が強まるなかで、連合が政労会見の場で、明確に三者構成原則の堅持を求めたことは、下手をすれば政策決定過程から疎外されかねない状態にあった経営側にとって、実にフェアな態度であったと評価すべきでしょう。

 いろいろ議論はあるものの、派遣法改正の審議がすでにマニフェストで大枠が決められている中で、常用型の製造業派遣は禁止しないという若干の修正が可能であったのは、これが三者構成であったことが大きいと思われます。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-3a6b.html

はあそうですか、「自分たちに不利な政策が、自分たちが関与することが出来ないままで実行されてしまうかも知れないという危機感によるものであることは明らか」で、「表層的な政局レベルでだけ捉え」たものなんですかそうですか。でも、経団連は昨年の「2009年版経営労働政策委員会報告」でもすでに三者構成の重要性に言及しているんですが何か。

 なお、主な労働政策については、これまで公労使の代表が参加する審議会において、現場の実態を踏まえた論議を行ない、立案に関与してきた。三者構成による審議会で合意された結論は最大限尊重されるべきである。
日本経団連経営労働政策委員会『2009年版経営労働政策委員会報告』p.54)

ま、この時点で自民党衆院の3分の2を占めていたとはいえ、次期総選挙での大敗は目に見えていたので、これはそれを先取りしただけだと言われればそれだけの話ではあるのですが。
とはいえ、さらにさかのぼれば、平成19年5月8日に行われた規制改革会議再チャレンジタスクフォースの有識者ヒヤリングで、経団連の紀陸専務理事(当時)が三者構成の堅持を訴える発言を行っています。
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0508/summary0508.pdf
これはhamachan先生ご自身もブログで取り上げておられます(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_e2c7.html)ので、当然ご承知のことだろうと思われますが、この中で、紀陸氏は委員が労働者代表委員の代表性に対して疑問を表明するのに対して、連合を大いに擁護する発言を繰り返しています。これは当時改革路線絶好調で、何でもかんでも構造改革を進めるという雰囲気が強まる中で、経団連がタスクフォースの場で、明確に三者構成原則の堅持を求めたことは、下手をすれば政策決定過程から疎外されかねない状態にあった労働側にとって、実にフェアな態度であったと評価すべきでしょう。

労働政策を考える(10)政労使三者構成

順番は少し飛ぶのですが、いきがかり上(笑)「賃金事情」2574号(2009年11月5日号)に寄稿した三者構成に関するエッセイを転載します。
http://www.e-sanro.net/sri/books/chinginjijyou/a_contents/a_2009_11_05_H1.pdf
使用者サイドが三者構成をどう考えているかを主眼に書いたものです。入稿後の校正が反映されていませんので、少し論旨がつかみにくいとことがありますがご容赦ください。


 さる10月7日、長妻昭厚生労働大臣労働政策審議会諏訪康雄会長に対して「今後の労働者派遣制度の在り方について」諮問しました。これに先立つ10月2日には、平野博文官房長官が「自民党政権が設置した政府の委員会や審議会、対策本部などについて、一部廃止を含め全面的に見直す方針を表明。『鳩山内閣でも必要なものは、リセットした上でつくりかえる』と述べた」と報じられていましたが(共同通信ニュースによる)、とりあえず労働政策審議会については現行の三者構成のまま継続される見通しとなったようです。民主党の有力な支援団体である連合(平野官房長官自身も松下労組出身の組織内議員です)が三者構成維持を主張していたこともあり、まずは順当な経過と言えそうですが、これが望ましい方向性だろうと思います。
 これに対し、一部の規制改革を主張する論者などからは、三者構成に対して批判的な意見もあります。たとえば2007年5月21日に発表された規制改革会議再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースの「脱格差と活力をもたらす労働市場へ〜労働法制の抜本的見直しを〜」という意見書においては「現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない」「主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない」として「使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め」ることが主張されています。こうした考え方はそれほど新しいものではなく、すでに2001年の日経連経営トップセミナーにおいて、講師の一人として参加した八代尚宏氏(現国際基督教大学教授)が、三者構成の審議会による検討は時間がかかる上に労使の主張の間をとった「足して2で割る」ものになりがちだ、と批判していました(これは筆者が傍聴した際の速記録によるものなので、不正確な可能性があります)。
 さて、連合が規制改革会議の主張に反対することは大いにうなずけるのですが、実は経営サイドもこれには消極的なようです。たとえば、さきほどの意見書の発表に先立って行われた労働タスクフォースの有識者ヒヤリングにおいて、経団連の紀陸孝専務理事(当時)は、三者構成には指摘されているような問題点が存在することは認めたうえで、三者構成ではない別の検討機関については「これはどこが主導して進めるのか。お役所とか、あるいは第三者の機関が主導で進めることによって、やはり企業の現場の声がきちんと反映される、本当に担保されるやり方がほかにあるなら、それは考えておかなければいけない」「労使共にいろんな意見がある中で、どうやったら円滑に意見を集約していけるか、むずかしいところ」などと見直しに反対の姿勢を示しました。さらに非正規労働に係る労働者代表委員の代表性の問題については「遅ればせながらパートも組合員化しようとか、今は2割を切っておりますけれども、これは2割の意見だけではない。彼らが言うのは、ほとんど全部の、特に働く者の立場を我々は代弁しているという認識です」と労働組合を弁護しました。
 これには、単に経営サイドの発言の機会の確保、というだけではない背景があります。
 もともと、労働政策に関する政労使三者構成による協議は国際労働機関(ILO)が要請しているもので、これは多くの国々で実践され、ほぼ国際標準といえるものとなっています。わが国でも「政」については公益を代表する者としての学識経験者がこれを担うという変則的な形ではありますが、それに沿った形となっています。
 ILOの基本理念を示したものとして知られる「フィラデルフィア宣言」を見ると、有名な「労働は、商品ではない」「表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない」「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」という根本原則に続き、「欠乏に対する戦は、各国内における不屈の勇気をもって、且つ、労働者及び使用者の代表者が、政府の代表者と同等の地位において、一般の福祉を増進するために自由な討議及び民主的な決定にともに参加する継続的且つ協調的な国際的努力によって、遂行することを要する」という形で三者構成の原則が宣言されています。
 ここで三者構成が「欠乏に対する戦」に対する枠組みとして要請されていることには、ILO設立当時の国際情勢が反映されています。ILOの設立は第一次大戦後、1919年のヴェルサイユ条約によりますが、これはロシア革命の成功によって社会主義革命が現実的な脅威として認識された時期でした。「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」という理念は、ある国、あるいはある企業が、自らだけが労働条件を抑制して他国や他企業を上回ろうとすることは、結局は他の国や企業の労働条件の改善の妨げになるということを意味します。そして、労働条件の改善が遅れることは、社会主義の脅威を強めることにつながります。これを回避するためには、ある国、あるいはある企業が個別に労働条件を改善することは競争上の不利につながることから、政府の努力や使用者の連携によって全体で労働条件を向上させる必要があります。したがって、仮に労働条件の向上に消極的な国や企業に対しては、その国・その企業の労働者・労働組合がその改善を要求するだけではなく、他国・他企業の政府や使用者もやはり改善を働きかけるという状況があり、その上で使用者にとっても三者構成は有益なものだったわけです。
 こんにち、国政政治情勢は当時とは大きく異なるものとなっていますが、しかし労働条件の改善を通じて「一般の福祉を増進」することが社会の基本的な価値観として承認されているのであれば、そして、使用者が労働条件を改善することで労働者の意欲を高め、生産性を向上させることが自らの利益にもかなうと考えるのであれば、多かれ少なかれ使用者が連携して労働条件の改善に取り組むことは理にかなったことと申せましょう。これは、労働政策の検討においては、使用者として各企業・業界の創意くふうを生かす余地を残しつつ、しかしどこまではギリギリ政策的な労働条件の改善を容認できるのか、ということの意思決定を行うことにほかなりません。それをふまえて政府・労働者の代表と議論を行う三者構成方式は、使用者にとっても依然として有益であり、したがって経団連がその見直しに反対することも当然といえるわけです。
 もちろん、現状にまったく問題がないわけではありません。とりわけ、労働者代表の代表性の問題は今日的な課題といえるでしょう。連合などは非正規労働者の組織化に熱心に取り組んでいますが、労働者は使用者に較べてさらに多様であると思われ、その利害調整、意思統一も課題となりそうです。これには政府や使用者も一定の役割を果たすことが求められそうで、今後三者構成による協議をさらに実りあるものとするために、政労使の一層の努力を期待したいと思います。