連合総研「イニシアチブ2009研究委員会」ディスカッションペーパー(5

だいぶ引っ張りましたが、おかげでブログの遅れをかなり取り戻せました。連合総研の研究会のディスカッションペーパーの転載も本日で終わりです。
もう一度、水町勇一郎先生の「《提言》労働法改革のグランドデザイン」へのリンクをはっておきます。
http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1245653189_a.pdf
ディスカッションペーパーの最初にも書きましたが、水町先生の提言はまことに壮大かつ野心的なものです。まさに白亜の大殿堂、あるいは見上げるばかりの大伽藍といった趣で、美しくも壮大な体系が構築されています。それに較べると、現状はまことにみすぼらしい掘っ立て小屋に見えるかもしれません。
しかしこの掘っ立て小屋、労使を中心にして、行政や有識者、さらには司法なども参画して、長年をかけてコツコツとつくり住んできたものなので、それなりにうまくできていることも間違いないのではないでしょうか。長年の風雪に耐えるべくあちこちつぎはぎだらけで見た目も良くないでしょうし、どうしてあっちが白なのにこっちは赤なんだ、と思われるところもあるでしょう。しかし、それは結局当事者である労使がそれがいちばん納得がいくからそうしてきた、ということの積み重ねなのではないでしょうか。
ですから、こんなオンボロは全部ぶっ壊して、更地にしてそこに新しいものを建てようよ…と思う人がいるのもよくわかります。海外の法律を研究して、そちらがいいと思っている人ならなおさらでしょう。しかし、労働は一国の社会やそこに暮らす人の人生の相当大きな部分を占めるものです。そこを強引に全面リニューアルしてしまうと(そもそもできるのかという議論もありますが、仮にできるとして)、そこからはじき出される人もたくさん出てくるでしょうし、社会のあり方やしくみ、国民生活のあり方、さらには人々の考え方や価値観なども大きな変化を迫られます。その先にはたして幸福な国や社会、生活が見えてくるのか?大きな賭けには慎重であるべきでしょう。
もちろん、さまざまな環境変化は常に起こりますし、急激な変化や大きな変化も当然起こります。それに対して必要な見直しは行わなければなりませんし、ときには大きな見直しも求められるかもしれません。しかし、現場に立つ実務家としては、それは十分に慎重に、大きな変化は時間をかけて、状況をみながら柔軟に方向を調整しながら漸進的に進めなければならないと感じます。
連合総研の「イニシアチブ2009研究委員会」シンポジウムにおいても、発言を求められましたのでこうした趣旨のことを申し上げました。終了後のレセプションなどの場では、何人かの労働組合の活動家の方から、賛同のコメントを頂戴しました(使用者サイドの人はほとんど来ていませんでしたが)。
ということで、以下転載です。

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(6)おわりに

 労働市場法制について述べる紙幅がなくなってしまった。今後の課題として先送りすることをご諒解いただきたい。最後に、玄田有史東京大学社会科学研究所教授のこんな述懐をご紹介したい(玄田有史(2009)「協働型能力開発へ」ビジネス・レーバー・トレンド409号p.7)。
「「根本的」という言葉が好きになれない。『○○に根本的な問題がある。小手先の策ではダメだ』と指摘すると何だか格好いい。ただ、そういう人は、きまって問題の解決に奔走している当事者ではない。根本的な問題があることくらい、わかっている。一朝一夕には解決しないから、根本なのだ。」
 このところ「長期雇用、職能給といった日本の雇用慣行に根本的な問題がある。職種別労働市場、職務給に改革すべきである」といった言説を多く目にするように感じる。なるほど、長期雇用や職能給(などの長期雇用に付随するさまざまな人事管理)をすべてやめてしまえば、私がこれまで指摘してきたことはすべて解消するように思えよう。現状を変革しようとの意図は共通なので当然といえば当然なのかもしれないが、それにしても面白いことに解雇規制撤廃を主張する自由主義の論者からも格差是正・雇用差別禁止を主張する社民主義の論者からも同様な主張が聞こえてくる。
 ただ、これはわが国における従来の労働観、仕事に対する価値観を大きく変えようとしていることには注意が必要だろう。職務給の背景にある価値観は、それが外部労働市場の需給で決まると考えるにせよ国家レベルの中央団体交渉で決まると考えるにせよ、「労働者は所定の職務を実行する装置であって、勤務する企業の業績とは無関係である」というものであろう。極論すれば、仕事に関しては労働者は入れ替え可能な部品みたいなものだ、企業が儲かろうが儲かるまいがそれは経営者と経営幹部の責任であって労働者には関係ない、ということだろう。
 それに対し、わが国では従業員、とりわけ正規雇用については、決して入れ替え可能な部品ではなく「労働者は仕事を通じて成長するものであり、生産性向上や人材育成などを通じて企業業績についてコミットするものだ」という価値観が定着している。長期雇用をやめて職種別労働市場にするということは、こうした価値観を放棄し、職務給の価値観に変更するということでもある。
 私たち人事労務管理に携わる実務家の多くは、長きにわたって現行の価値観を大切にしながら仕事に取り組んできたと思う。だからそれが良いとか正しいとかいう短絡的な議論をするつもりはない。しかし、それをそれこそ根本的に覆すことは、まことに困難極まりないことではあろう。少なくとも表立ってはその理念に異論の少なかった男女雇用機会均等にしても、今日の定着(いまだ不十分としても)を見るまでにはあれだけの長い年月と多くの労力、忍耐を必要としてきたのだ。
 もちろん、実務家の限界を超えたところに進歩がある可能性は否定しないし、その意味で根本にかかわる議論は必要かつ重要だとも思う。ただ、現実を理念に合わせようとすることには慎重であってほしいと願うばかりだ。私たち実務家は、玄田氏が続けて述べているように、働く人々とともに「本当の関係者は、一歩ずつ解決策の積み重ねを、地道に模索している」存在であり続けるしかないのだから。