労働政策を考える(3)労基法改正の効果は

「賃金事情」2561号(2009年4月5日号)に寄稿したエッセイを転載します。


労基法改正の効果は」

 昨年(2008年)12月5日、労働基準法改正法案が一部修正のうえ可決成立しました。来年(2010年)4月からの施行とされており、現在、省令・告示の検討が進んでいるようです。
 まずその内容を確認してみましょう。公布の日に出された労働基準局長通達「労働基準法の一部を改正する法律について」(平20.12.12基発第1212001号)によると、今回の改正は「長時間労働を抑制し、労働者の健康を確保するとともに仕事と生活の調和がとれた社会を実現する観点から、労働時間に係る制度について見直しを行うものであり」、主な内容は時間外労働に係る割増賃金率の引き上げと、年次有給休暇の時間単位での取得となっています。
 具体的には、まず1か月に60時間を超える時間外労働を行う場合は、法定の割増賃金率が50%以上に引き上げられます。ただし、中小企業については当分の間猶予され、施行から3年経過後に改めて検討されることとなっています。また、この引き上げられた割増賃金については、労使協定の締結によって、有給の休日の付与に代えることができます。
 さらに、月45時間を超えて時間外労働を行うために特別条項付時間外労働協定を締結する場合には、月45時間を超える時間外労働に対する割増賃金率も定めること、その率は法定(25%)を超えるよう努めること、超える時間はできるだけ短くするよう努めることとされました。
 つまり、これまでは25%以上という1段階の規制しかなかったところ、改正後は月45時間までは25%以上、45時間を超えて60時間までは25%を超えるよう努める、60時間を超えたら50%以上という3段階の規制となったわけです。
 また、年次有給休暇については、労使協定の締結により年5日分を限度として時間単位で取得できることとなりました。
 これが企業に与える影響はかなり大きなものとなりそうです。もっとも、割増率引き上げによる人件費増は、さほど大きなものではありません。大雑把な試算として、従業員10人の会社で月間残業100時間の人が1人、残り9人は残業20時間、月間所定労働時間160時間、時給1,000円という単純化したモデルで計算してみます。改正前(割増率25%)だと総額が1,950,000円です。改正後は1人の人の残業のうち40時間分が割増率25%から50%になりますので、総額が10,000円増えて1,960,000円です。増加率は0.5%で、小さいとは言えないかもしれませんが、しかし2年くらいベアを抑制すれば取り戻せる水準です。むしろ大きいのは管理コストのほうで、3段階の割増率による賃金計算や、年次有給休暇取得日数・残日数の時間単位での管理などは、はなはだ煩雑なものとなります。勤怠管理や賃金計算をシステム化している企業ではそのプログラム変更に相当の時間(これを考慮して、施行までの期間を比較的長くとったと言われているようです)と費用を要するでしょうし、出来合いの業務ソフトを使っている企業では、はたしてこの3段階割増率や時間単位取得にソフトが対応できるかどうか不安でしょう。
 それでも、これが「長時間労働を抑制し、労働者の健康を確保するとともに仕事と生活の調和がとれた社会を実現する」ことに資するのであれば、こうしたコストをかけることも有意義だろうと思うのですが、それもいささか疑わしいと言わざるを得ません。
 まず割増率については、国会での修正で中小企業を適用除外にしてしまいましたので、この時点で政策効果はかなり殺がれた感は否めませんが、それは別としても、そもそも割増率引き上げが時間外労働を抑制する効果には限界があります。わが国では、割増賃金の対象となる所定内給与が総額人件費に占める割合が低く、約6割弱にとどまるといわれています。そのため、割増率を非現実的な水準にまで引き上げない限り、新規採用のほうが時間外労働より高くついてしまいます。だからといって、割増率を高くしすぎると、今度は高額の割増賃金に魅力を感じて長時間の時間外労働をしようとする従業員が増えてしまうでしょう。割増賃金は使用者に対するペナルティであると同時に労働者にとっては時間外労働への助成金のようなものでもあることには注意が必要です。したがって、長時間労働そのものをやめさせたいのであれば、職種などによる適用除外を適切に設定したうえで時間外労働を直接的に上限規制すれば効果的で、手間もかかりません。健康被害を抑止したいのであれば、すでに労働安全衛生法に類似の定めがありますが、一定時間以上の時間外労働を行った労働者に対して健康診断や医師による面談指導などの健康被害防止措置を行うことを義務づけるのが効果的でしょう。
 もちろん、今回の法改正にも、いかんせん限定的なものにとどまるにせよ、45時間、60時間を超えると割増率が上がることで使用者に対して長時間労働抑止の意識を持たせたり、あるいは特に45時間超の部分は時間外労働協定によりますので、長時間労働抑止に向けた労使の協議、取り組みを促すといった効果は期待できます。連合は「2009年春季生活闘争方針」の「すべての組合が取り組むべき課題(ミニマム運動課題)」の一項目として「時間外・休日労働の割増率の引き上げ」を掲げ、「割増共闘」を立ち上げるとしています。長時間労働抑制の効果にかかわらず、割増率は重要な労働条件の一つですから、労組としてこれに取り組むのは当然でしょう。いまのところあまり活発な動きはみられないようですが、来年4月の施行に向けてこれに取り組む労組が増えるかもしれません。施行までの期間が比較的長くとられたことで議論の時間もできましたから、単に割増率の引き上げ交渉にとどまらず、生産性向上を通じて労働時間を短縮し、長時間労働の抑制にもつながる、実りある労使協議を期待したいものです。
 さて、年次有給休暇の時間単位取得については、もとより年次有給休暇は1日単位で取得することがその趣旨にかなうわけですが、現在は一定の条件下に半日単位の取得も認められています。時間単位の取得はそれ以上に本来の趣旨に沿わないわけですので、その利用が制約されるのは当然といえますが、一方で1〜2時間ですむ用事のために半日、1日は休みにくい、という実態があるのであれば、時間単位の取得は便利に使えるでしょうし、仕事と生活の調和にも資するでしょう。ただ、これは逆も考えられるわけで、時間単位取得ができるようになったばかりに、本来なら半日、1日休んでいたところを上司から「1時間だけ休んで出てきてくれ」と言われてしまう、ということも考えられます。そういう意味では労働時間の短縮につながるかどうかは微妙でしょう。
 今回の労基法改正は、もともと労働契約法の制定と一体的に労使の代表も参加する審議会で検討されてきました。それが国会において切り離され、審議会の建議からかなりの部分が変更されての成立となったという経緯もあり、どうにも政策目的と法改正の内容とがちぐはぐな感は否めません。長時間労働抑制の問題は、今後、労働時間制度全体の見直しの中であらためて議論されることが望まれます。