大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか』

「キャリアデザインマガジン」第85号のために書いた書評を転載します。


 この本の副題は「会社の論理vs.労働者の論理」となっている。「オビ」をみると、「解雇」をめぐる会社の論理とは「「使えない」社員はクビだ」というものであり、労働者の論理とは「生存権の侵害だ」ということであるらしい。本書を読めばわかるとおり現実はそれほど単純ではないが、それにしても雇用、労働をめぐるテーマにおいては、会社の論理と労働者の論理が一致しないことが多いことは間違いない。もちろん、どちらにも一理あって、それぞれの立場では正論なのだから、そこでは必ずなんらかの調整が必要になる。そのルールが労働法ということになる。
 おそらくこの20年くらいの間に雇用・労働の実情は大きく変化し、今も変わりつつある。労働法もそれに応じた変化が求められ、現実に多くの改正が行われてもいる。働く人が労働法について知っておくことの必要性も高まっているだろう。この本は、雇用・労働の現場が直面する11の項目をピックアップし、それぞれにおける会社の論理と労働者の論理を示し、それが労働法によってどのように調整されるのかをわかりやすく解説している。単に労働法の知識を得られるだけではなく、それぞれに理屈のある異なる主張をともに理解し、論点を整理し調整し、適切な解決を示すという、リーガルマインドの重要な要素についても自然と理解が深まるだろう。経済学の知見や考え方が盛り込まれているのも好ましい。また、それに加えて、いくつかの項目においては、今日のさまざまな変化をふまえて今後の方向性も提案しているのも興味深い。
 そしてとりわけ特徴的なのは、「仕事と余暇」の項目において、「会社の論理」「労働者の論理」に加えて「生活者の論理」という考え方を導入していることだろう。会社の顧客は最終的には生活者であり、会社の論理は顧客である生活者の論理に沿ったものとなる。いっぽう、労働者と生活者とは大いに重なり合う。ここに労働者の論理と生活者の論理の自己撞着が生まれる。「(他国ではみられない)公共交通機関のパンクチュアリティが、生活の質を高めることは誰も否定しないであろう。しかし、これは同時に、鉄道会社の社員の労働強化につながっている。…日本の労働者がよく働くのは、この生活者としての利便を十分に享受したいからでもある。生活者としての利便を享受するには、それなりの金がいる。労働者の家庭では、残業代を組み入れた生活設計をしていることが多いであろう」というわけだ。実際、本書ではそこまでは書かれていないが、生活者が安価な商品やサービスを享受するために、労働者の賃金が抑制されざるを得ないという部分もあるに違いない。
 著者は「エピローグ」でもう一度この考え方を取り上げ、「日本の雇用システムにおいては、生活者の論理を優先しながらも、労働者の論理にも配慮するという絶妙のバランスが存在し…、世界に誇ってよいと思う。現に、日本人は、他国にはないほどの高い質の生活を享受できるようになったのである。そして、より大事なことは、こうしたバランスは、政府や企業に押しつけられたものではなく、労働者たちも望んだ結果だったのである」と述べる。その上で、「正社員と非正社員の均衡処遇というような、日本の雇用システムの根幹にメスを入れる施術は、当面は、格差問題という「病状」の改善にはつながるかもしれないが、長い目でみると、雇用システムの「健康」な部分までを病弱にしてしまうであろう。…労働者の論理と生活者の論理との間の絶妙なバランスを崩してしまいかねない」と、昨今の表面的な議論に警告している。実際には、実は現状でも一定の「均衡処遇」が実現していると考えることもできると思われるが、いずれにしても一部の処遇を人工的に操作することが雇用システム全体に大きな悪影響を及ぼす危険性があるというリスクは、多くの実務家が懸念するところだろう。看過できない、重要なポイントを指摘している本である。
 なお、この本の書名は「雇用はなぜ壊れたのか−会社の論理vs.労働者の論理」なのだが、副題はまだしも、「雇用はなぜ壊れたのか」のほうはおよそこの本の内容を示していない。出版社が売らんがために扇情的な書名をつけたのかもしれないが、それにしても不適切ではないか。この書名をみて、格差「是正」や規制強化などの一部大衆受けする内容を期待して購入すると確実に損をするだろう。まあ、虚心に読めば、それでも価格以上の収穫があるはずの本ではあるのだが…。