ノンワーキング・リッチはどこにいる?その2

驚いたことに、きのうの日経新聞夕刊の「さらりーまん生態学」というコラムで、作家の江波戸哲夫氏がこのブログの記事に言及しておられました。
話題は池田信夫先生の「ノンワーキング・リッチ」に関するものです。

 少し前<池田信夫ブログ>で、問題はワーキングプアではなくその裏側にいる中高年のノンワーキング・リッチである、という記述を見たとき「ははあ、これか」と思った。
 複数の派遣の若者から「ロクに働かずにおれの倍以上の給料を取っているおじさんがウチにいる」というのを聞かされていたからだ。
(江波戸哲夫「ノンワーキング・リッチ」平成21年4月15日付日本経済新聞夕刊「さらりーまん生態学」から、以下同じ)

というご紹介があったあと、「一方でこれに対する反論も賑やかだ」として、このブログの3月18日付エントリ「ノンワーキング・リッチはどこにいる?」(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090318)を取り上げていただいたものです。

…やはりブログの<労務屋>では、(1)ノンワーキング・リッチなどそれほどいない、(2)仮にいたとしたら(働いていない)彼らをやめさせても新たな雇用は生まれないからワーキングプアは減らない、というのである。

うーん、ずいぶん思い切った要約をしていただいたものです。特に、私としてはワーキング・プアを論じたつもりはなく、単に(若年に限りもしない)新規雇用は増えないだろう、と言ったにすぎません。誤解を恐れず思い切りドライな書き方をすれば、百歩譲ってそれで新規雇用が生まれたとしても、そこで雇用されるのは多くはワーキング・プアではなく、もっと戦力になりうる人材であることが多いという傾向になるでしょう(ワーキング・プアも企業の求める人材も多様であり、ワーキング・プア=戦力にならない、といった100%対応の短絡的な議論をするつもりはありませんので為念)。
また、私としては当該エントリで書いたように「…若年には、「自分は老害中高年よりはるかに仕事ができるはずだ」と根拠もなく思い込んでいる人が多いようで、…しかし、彼らが「うちの会社の中高年は全然働いてない、仕事してるのは俺一人だ」とか「ホント俺の職場の上司は使えない、邪魔なだけ」と嘆くのをそのまま真に受けるのは危険が大きいでしょう」と感じているのですが、江波戸氏は思いっきりこれにハマっているようです。まあ、どちらが実態に近いのかはわかりませんし、ケースバイケースだろうとも思うのですが。
それはそれとして、ノンワーキング・リッチについての江波戸氏のお見立てはこうです。

…広範な調査でもしなければ論証はできないが、"窓際族"が死語になったように、ノンワーキング・リッチはかなり減ったにせよまだあちこちに生息していると私には思える。企業はたえずそういう存在を生み出すものだ。

私のエントリと引き比べてみると、私が「「たいした仕事もしないのに、昔の名前で高給をとっているノンワーキング・リッチ」はほぼ殲滅されている」と書いたのは、「ほぼ殲滅」は大げさということかもしれません。まあ、これは確かに誇張でありまして、私としても本意はその後に出てくる「そもそも池田先生が考えておられるほどには「中高年の社内失業者」はいません」にあるのですが。
ただ、留意が必要なのは、最後のほうで出てきますが、江波戸氏がここで言われている「ノンワーキング・リッチ」は、池田先生が言われるような「年収2,000万円」といった高給取りではない、ということでしょう。
で、

…たとえば半人前の仕事しかやっていない十人のノンワーキング・リッチを五人の若者に置き換えたとする。労賃は激減し五人のワーキング・プアの雇用は生まれる。
 経営と五人のワーキング・プアにはプラスになるが十人の失業者が生まれる。それでいいのだろうか。

うーん、まあ、それなりの企業の規模で会社中から「半人前の仕事しかやっていない十人のノンワーキング・リッチ」をかき集めることができたとして、さらにそれが「五人の若者に置き換え」ることができたとすれば、そういうことにはなるでしょうが、しかしそれはあったとしても相当に稀ではないだろうか…というのが私の感想です。まあ、可能性はゼロではありませんので、仮定の話としてはありえなくはないでしょう。
大事なのは、最終の結論です。

 ノンワーキング・リッチといえば忌々しいが、多くは企業の吹き溜まりのそうリッチでもないベテランだ。ワークさせられないはずがなかろう。

ふむ、これはほとんど私の意見と同じといえそうです。江波戸氏がどのくらいに考えておられるのかはわかりませんが、私としては、「吹き溜まり」はそれほど規模が大きくもなければ、一人ひとりが「吹き溜まる」期間もあまり長くはなく、ほとんどはすでにそれなりに「ワークさせられ」ているのではないか、と考えているわけです。
さて、池田先生はこのコラムをどう読まれるのでしょう。「初級経済学も知らない作家風情のタワゴト」となるのか、あるいは都合のいいところだけを取り上げて「著名な作家も同意見だった」となるのか、見てみたいところではありますが、まあ無視を決め込むような気もしますが…。