中東の笛

昨日、女子ハンドボールの「やりなおし」五輪アジア予選が開催されました。昨年8月にカザフスタンで開催されたアジア予選で中東地区の審判による不可解な判定が相次いだため、あらためて別地区の審判による再予選が行われたわけですが、結果はご承知のとおり韓国の大勝となりました。実は昨年のアジア予選では日本が1点差で勝利しているのですが、報道等によればこれも中東地区の審判の不可解な判定によるものであり、今回の結果が「順当」なのだとか。
これに関して、ハンドボール専門誌「スポーツイベント・ハンドボール」の野村彰洋編集長のこんなインタビュー記事がきのうの夕刊に掲載されていました。

 「当初は中東の笛と書くとき、『』をつけたり、『いわゆる』などとぼかしていたんですが、最近はすっかり定着ですね」と野村編集長。
 不当な判定を取材で実感したのは95年のアトランタ五輪予選が最初だ。その背景に、ハンド特有の「格闘技性」を指摘する。「バスケットボールと違い、かなり接触プレーがある。防御側はシュートを打たれないように、あえて反則覚悟で相手を捕まえたりもする」
 反則には「警告」「退場」「失格」「追放」の段階がある。「退場」なら2分間コートから出るだけで復帰できるが、「失格」になると、その選手は以後、その試合に出られない。「追放」はさらに代わりの選手も出場できない。どのレベルの反則かの見極めは審判の裁量で、ビデオ判定もない。「個々の審判のさじ加減に左右されるあいまいさが、中東の笛を招く温床かもしれない」
 昨年9月の五輪予選、日本―クウェートでは日本の守備の要、永島がイラン人審判の不可解な判定で「失格」になった。
 「単に(相手の)フリースローが妥当なプレーだったのに、失格で、その試合は出られなくなった。守備面ではかなりの痛手だった」
(平成20年1月29日付朝日新聞夕刊から))

ジャッジは当然ルールに則って行われるわけですが、競技によってはその解釈が審判の裁量に大きく委ねられているケースもあります。ハンドボールもどうやらそうした種目の一つのようです。こうした種目では試合の内容、流れや結果が「審判の笛ひとつ」ともなりやすく、ハイレベルな試合であればあるほど、中立で技量の高い審判が起用されることが望ましいでしょう。
もっとも、中立はともかく、技量に関しては日本もまったく問題なしというわけでもないようです。とりわけサッカーではJリーグが急速にレベルアップしたのに審判が追いつかなかったのか、ジャッジをめぐる異論は日常茶飯事のように目にします(最近はそうでもないのかな?)が、ほかの競技でも、たとえばこれは昨年かなり話題になったと思います。

…決勝戦後、敗れた広陵・中井監督は「あえて言います。おかしな判定がいくつもあった」と訴えた。逆転された8回。連続四球の際に小林捕手はミットを地面に叩きつけたが「普段の小林はあんな態度は取らない。ストライクが何球もあった。審判は技量を高めるべき。あれでは野村も真ん中しか投げられない」。甲子園では異例の審判批判。野村は「審判がボールと言えばボール」とだけ話したが、高野連・田名部参事は「言ってはいけない言葉。審判も懸命に判定しているので間違いはない」と不快感を示していた。
(平成19年8月23日付スポーツニッポンから)

「審判も懸命に判定しているので間違いはない」という非科学的な発言には思わず失笑を禁じ得ませんでした。まさに語るに落ちる、「懸命なんだから仮におかしな判定であっても間違いはないのであり言ってはいけない」という本音がみえすいていますし、高野連の前時代的体質を端的に表しているようにも思えます。それはそれとして、同日付の日刊スポーツによると、球審自身は「低いと思った。ミットが下から上に動いていた。ボール、ストライクは私の責任。(判定にも)バラつきはなかった。あれは低かった」と述べたとのことですが、当時の世間の論調は「判定に異論を述べるべきではない」というのはあったにせよ、「あれはボールだった」というのはまったく見かけなかったように思います(「あれはストライクだった」というのは山ほどありましたが)。
ただ、「あれはストライクだった」という意見も、単純にルールにあるストライクゾーンをもとに言っているのであれば、必ずしも的を射ていない可能性があります。ルールを解釈して判定するのは審判であり、解釈の範囲内(たとえばいわゆるど真ん中ではなく、ゾーンぎりぎりの投球)のプレーについては、審判以外の人の解釈であれこれ言っても仕方のないことだからです。
私は、審判の技量として大切なのは、少なくとも一つの試合を通じて解釈が変わらないということではないかと思います。ある高さ、あるコースの投球をストライクと判定したら、試合終了まで同じ高さ、同じコースはストライクと判定する、ということです。「中東の笛」のようにチームによって解釈が偏ったり異なったりするのは論外ですが、たとえば前半はファウルと判定されたプレーが後半はスルーされる、というのも問題でしょう。だからこそ球審は「バラつきはなかった」とコメントしたのだと思います。
一般的に、アマチュア野球でも都市対抗野球大会、それも決勝戦などで球審を務める人はバラツキが少ないように思います。やはり、技量の優れた人が選ばれているのでしょう。それに較べると、これもまったくの印象論ですが、高校野球の審判はかなりバラツキがあるように感じます。私は問題の試合については見ていないのでなんとも言えないのですが、球審のコメントにもかかわらず世間には「バラツキはあった」具体的には「問題の場面で判定が守備側に厳しくなった」という意見は多かったように思います。判定に自信を持って毅然とした態度をとることと、技量を高めることとは同じではありませんから、「懸命に判定すればそれでいい」というのではなく、ぜひこうした意見を技量向上の糧としてほしいと期待します。
それはそれとして、私は高校野球の審判(すべてのレベルではないかもしれませんが、とりわけ全国大会では)の技量については、また異なる判断基準があるような気がしてなりません。世間でもときどき言われているのではないかと思いますが、「高校野球らしい好試合を演出できる」ことが重要な技量であるという関係者の了解があるようにも思われるのです。まったくの推測ではありますが、問題の試合についても、球審はもしかしたら「せっかくの決勝戦が一方的な内容で終わってしまっては…」と考えたのかもしれません。そして、「これをボールと判定すれば1点はいる。その後もう1点くらいはいるかもしれない。そうすればそれなりに競ったさわやかな好試合が演出できる…」という温情を持ったのかもしれません。結果的にはその後に劇的な逆転満塁ホームランが飛び出し、まさしく「好試合」になったわけですが、球審としてみれば「まさか逆転ホームランが出てしまうとは…」と思っているかもしれません(ちなみに、私はこれまた世間にあるような「優勝校は公立校だったので審判が有利に扱った」という見方は誤りだろうと思います。だったら、もっと早い段階から有利な試合展開を演出したでしょう。これまた試合を見ていないのでなんとも言えないのではありますが)。
まあ、「好試合の演出」を審判の技量として重視するという考え方もありうるでしょうし、どちらが望ましいのかについては議論があるでしょう。プロスポーツとアマチュアスポーツでも違うかもしれません。私個人としては、とりわけアマチュアスポーツでは試合をする当事者(がどう思っているのか知りませんが)の望む方向であってほしいとは思いますが…。いずれにしても、どういった考え方をとるにせよ、技量はしっかり高めて欲しいと思います。
実際、競技によっては、ラグビーのように明確に「審判はゲームの演出者」という見解をとる競技もあります。たしかにラグビーはゲームの多くが審判の裁量で進められます。危険をともなう競技を安全に進めるために必要という事情もあるのでしょう。そのラグビーでも、最近こんな事件がありました。

 1日の3回戦で流通経大柏(千葉)に敗れた大工大高(大阪第3)の野上友一監督(49)が2日、試合の判定を不服として辞任した。福谷厚コーチ(37)が後任の監督となる。大工大高を13度花園へ導いた名将はきょう3日、関西ラグビー協会の太田始レフェリー委員長に対し、文書に画像を添えてフェアな判定の徹底を訴える。
 1日の試合で大工大高は、オフサイドでないプレーを反則にとられるなど、ルールにのっとったはずのプレーをことごとく反則とされ、流れを失った。同高の分析によると、同高に対して少なくとも7つのミスジャッジがあった。また流通経大柏の反則9つが見逃された。
 野上監督は、普段から生徒に対して審判への不服を口にしないよう指導していることもあり、当日は抗議しなかった。
 しかし1日夜の解団式で、SO新里前主将(3年)が泣きじゃくって謝ってきた姿に、気持ちが動いたと説明。「これでは子供たちがかわいそう。誰かがアカンことはアカンと言わないと」と、抗議の意味を込めて監督辞任を決めた理由を話した。
(平成20年1月3日付産経新聞朝刊から)

こちらについては、運営サイドの「田仲功一実行委員長(63)は「基本的に協会が信頼をもって送り出したレフェリー。ルールにのっとってやってくれたので厳然とした真実であると信じています。今後の審判の資質向上の材料とさせていただきたい」と善処する姿勢を見せた。」ということで、野上氏自身も「映像見てもやっぱりおかしい。ただレフェリーの方も手弁当ひとつでやっていただいているので…」と理解を示しています。まあ、映像で動かぬ証拠をつきつけられては技量の不足と改善の必要を認めないわけにはいかなかったということでしょうか。
ただ、「ルールにのっとってやってくれた」というのが、技量が不足でも中立でありさえすれば双方とも条件は同じだからかまわないはずだ、ということであると、それはプレーするチーム、選手には気の毒なような気がします。ミスジャッジや反則の見逃しがある程度出るのは致し方ないでしょうが、それが必ず双方に同じだけ出るかというと、50試合、100試合とやればいずれそれに近づくでしょうが、一試合だけとなるとそうはいきません。むしろ、どちらかに偏って出るほうが、まったく同様に出るよりは多いでしょう。たまたま大きく偏って出てしまったり、決定的な場面で出てしまったりしたら、それで敗戦となったチームとしてみればやりきれないというのもわかる話です。大工大高のケースも、大工大高を負けさせようということではなく、単に技量の高くないレフェリーのミスがたまたま大工大高に不利な方向に多く出てしまったということだったのかもしれません。で、技量が高くミスジャッジなどが少なくなればなるほど偏って出る危険性も低くなるわけですから、やはり中立公平であれば問題なしというわけにはいかず、技量の向上は必要と申せましょう。
その点、「手弁当だから技量が低いのは致し方ない部分がある」という見解は、「懸命だから間違いはない」に較べるとだいぶん科学的です。プロ野球は、選手の技術レベルが高いためクロスプレーやきわどい判定が多く、しかもその多くは映像でチェックされるため、審判の不適切な判定がどうしても目立ちますが、逆にいえばそうしたシビアな環境でもおおむね適切なジャッジができているわけで、その技量の高さは率直に認めるべきでしょう(欲を言えばきりはありませんが)。これはもちろん、審判をフルタイムの職業として生活できるだけの収入を得ているという条件が大きく寄与しているであろうことには誰も異論はないものと思います。それに対してJリーグの審判は100人くらいはいると思います(自信なし)が、それで生活しているスペシャルレフェリーは10人くらいのものでしょう(自信なし)。ラグビーはといえば、フルタイムレフリーがおそらく1人いるだけ。競技によってカラーも違う(アマチュア主義の強いラグビーは、さかんな国でもフルタイムレフリーは少数らしい)でしょうが、トップがこうだとすると裾野は推して知るべしというところです。
競技の振興・強化をはかるためには審判の充実が重要なことは容易に推測できますが、現状はメジャーな競技でもこうしたトラブルが起きるという、なかなかお寒い状況なわけです。文科省あたりがなにかもっと積極的な手を打てないか(もちろん、競技団体などを通じてそれなりに取り組んでいるだろうとは思いますが)とも思いますが、行政がやるとなると特定競技だけというわけにはいかず、しかし全部やるとなると予算などの面で現実的ではなくなってしまうというところなのかもしれません。ラグビーのフルタイムレフリーは宅配ピザピザーラがスポンサーについているのだそうで、企業も運動選手だけでなく審判への支援に目を向けてもいいかもしれません。