労働政策・考(2)最低賃金制度

産労総研の「賃金事情」誌に連載している「労働政策・考」の第2回で、2007年9月5日号(No.2526)に掲載されました。以下に転載します。


 このところ、最低賃金(最賃)引き上げの動きがさかんです。先般の第166通常国会には「生活保護との整合性に配慮する」との規定を盛り込んだ最低賃金法改正法案が提出されました(継続審議)し、この8月10日には中央最低賃金審議会が平均14円の引き上げという、従来にない高い目安を決定しました。公労使の議論に基づくものであり、尊重されるべきものでしょう。
 それでもなお、世間にはさらに大幅な引き上げを求める声もみられます。しかし、最賃の水準の妥当性は実は判断がたいへん難しい問題で、制度についての正しい理解のもとに議論することが必要になってきます。残念ながら世間には、最賃の数字(たとえば平成18年度の地域別最賃の平均1時間673円など)だけをみて「これでは月160時間(1日8時間、月20日)働いても月107,680円にしかならず、これでは生活していけないから最賃の大幅な引き上げが必要だ」といった感覚的な議論も多いようです。これが生活保護の給付水準を下回る地域があることも、「低すぎる」という感覚につながっているようです。もちろん、就労しているにもかかわらず収入が低くて困窮している人に対してはなんらかの政策的対応が必要でしょうが、これに最賃の大幅な引き上げで対応することはあまり適切とはいえません。
 賃金は主に労働市場の需給関係と団体交渉で決まるわけですが、これだと不況期などには賃金が低くなりすぎてしまう恐れがあるので、それを防ぐのが最賃の役割です。どの水準をもって「低すぎる」とするかというと、最低賃金法第3条は「最低賃金は、労働者の生計費、類似の労働者の賃金及び通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」としています。国民の最低生計費の確保を目的とする生活保護が生計費のみを基準としているのと異なり、最低賃金法では「生計費」は3つの要素のひとつにしかなっていません。これは、最低賃金法がごく限られた例外を除き、ほとんどすべての労働者を対象としていることにも対応しています。最賃は家計に別途十分な収入がある労働者(たとえば多くの学生アルバイトなど)や多額の資産を持つ労働者についても適用されますので、生計費を考慮する程度も生活保護よりは小さくなるのは自然でしょう。
 したがって、最賃を160倍して生計費と比較するだけの議論はあまり意味がありませんし、趣旨もしくみも異なる生活保護を必ず上回らなければならないということもありません。また、最賃の引き上げでは失業者や自営業者を救済することはできないという限界にも留意が必要でしょう。生活困窮者対策としては、より賃金の高い職を得るための能力開発支援や、さらに端的に、政府が生計費不足分を別途の福祉的給付で補充するといった施策のほうが適切と思われます。
 なお、最初に紹介した今回の法改正等については、最賃が生計費を考慮要素のひとつとしている以上、やはり生計費を基準とする生活保護の水準を参考とするのはむしろ当然で、「生活保護との整合性に配慮する」(「上回る」ではない)との改正法案は妥当といえます。また、最賃の考慮要素である生計費・世間相場・支払能力については、その時々の社会状況・経済情勢をふまえて適切にバランスをとる必要があるのも当然で、平均14円と従来以上に高い目安を示したのも、現状では3つの要素のうち生計費をより重視すべきとの判断によるものでしょう。最賃制度は労使双方の事情に配慮され、その運用も労使はじめ関係当事者の自主的気運に期待するものとされていますので、今後の労使の建設的な議論を期待したいものです。