限定正社員の課題(続き)

 昨日のエントリの続きで、限定正社員制度普及の課題について書いていきたいと思います。
 第2の課題は第1とも関連しますが、やるならある程度一斉にやらないとうまくいかない可能性があるという点です。エリートの無限定正社員とノンエリートの限定正社員を区分して採用しますという会社と、いやいやわが社は引き続き全員エリート無限定で行きますという会社が混在した際に、もし昨日も書いたようにエリートを選好する意識が強く残るとすれば、後者に良好な人材が多く引き寄せられる可能性は軽視できないように思われるからです。後々困るのはそれはその時と割り切って、今現在は良好な人材を集めて後払い賃金でバリバリ働いてもらったほうが短期的には競争上有利であるとすれば、先々を考えて前者に踏み切った会社が経営難に陥り、結果的に限定正社員の普及が頓挫することが懸念されます。逆に、ノンエリートでワークライフバランスなワークスタイル・ライフスタイルを積極的に評価する方向に意識が向かえば、無限定正社員が集まりにくくなるという形で限定正社員の拡大が進む可能性もあります。
 とはいえ、とりあえず限定正社員の活用が提言されてからかなり経過してもあまり大きな変化は見られないわけで、それでもやろうということであれば政府が意思をもって介入することが必要なのかもしれません。具体的にはかなり難しい政策になりそうですが、たとえば新規採用者について勤務地変更禁止、日本職業分類の中分類を超える職種変更禁止(監督者・管理者への昇進は可)、時間外労働は月間10時間・年間60時間を上限といった規制をかけてしまい、適用除外で勤務地変更や職種変更、上限を上回る時間外労働を命じることができるのは20%の例外に限るといった量的規制を実施するわけです。20%のエリートについてはたとえば年収700万円以上でホワイトカラー・エグゼンプションでいいかもしれません。要するに、繰り返し引用している八代尚宏先生の指摘「出世競争は一部のワーカホリックな社員に委ねて、大部分の社員は、各々の得意とする専門的な業務に専念するジョブ型の働き方が相対的に増えることが望ましい」を法規制で実現してしまおうというわけです。そもそも現実的な感じがあまりしませんし、ある意味濱口先生が言われるような「デフォルトルール」を政府が決めるようなもののなので、自由が好きな私としてはあまりうれしい話ではないのですが、しかしそのくらいやらないとできないのかなとも思って悲観的になるわけです。
 そして第三の課題は実用的な話で、上で「新規採用者」と書いたように、即座に実施できるのは新規採用からに限られるだろうという点です。労働者の長期的なキャリアにかかわるしくみを作り直そうということですから、一気にやったら大混乱に陥ることは避けがたいわけで、すでに採用され就労している人たちについては経過措置を設け、それなりに長期間をかけて、激変を避けながら進める必要があるでしょう。
 つまりこれは、今困っているような問題点について、長い目でみれば将来的には発生しなくなるでしょうという話であって、今現在の問題(たとえばバブル入社者の人件費負担とか)が目に見えて解消するような話ではないわけです。したがって、今現在の困りごとについては別途対応するよりないわけで、現実にも非正規雇用を拡大して昇格の必要のない従業員を増やしてきたのではないかというのは前にも書きましたし、かつての成果主義もそういう側面がありましたし、今回の「ジョブ型」も同様かもしれません。それでなんとか乗り切っていけるのであれば、案外そうしているうちに徐々にサステナブルな姿に変化していく可能性もあります。一方で正規・非正規の二極化の問題も指摘されているところであり、二極化の間を埋めてキャリアの飛び石となりうる存在としての限定正社員への期待というものもあるわけで、やはり意識的・漸進的に取り組むべき政策であるようにも思われます。
 具体論はさまざまでも、雇用・就労形態の多様化という方向性は労働研究者や政策関係者の中ではそれなりに共有されているようですので、難題は多いのではありますが、今後も引き続き議論が進むことを期待したいところです。

限定正社員の課題

 間が開いてしまいましたが、前回のエントリ(スローキャリアな限定正社員)に続いて、限定正社員について書いていきたいと思います。
 前回はスローキャリアな限定正社員を拡大していくことで日本企業が抱える「中高年社員のポスト不足と、賃金と職務価値の不一致」といった人事管理の課題をかなりの程度解決できるのではないかという趣旨のことを書きました。繰り返しになりますが、ゼネラルマネージャーや執行役員を目指すファストトラックのエリートコースと、課長クラスくらいが目標のノンエリートのコースを設け、前者は従来どおりのメンバーシップ型で「どこでも・なんでも・いくらでも」働く、辞令一枚で地球の裏側に単身赴任もありうべしという働き方、後者は基本的に勤務地・職種・勤務時間限定で転勤もなけれは残業も例外的、人事異動も同一職種内という働き方にするわけです。ただし職種限定だからジョブ型かというとそうでもなく、同一職種内でローテーションして内部育成し、ゆるやかながら初級管理職(係長クラス)、能力と適性によっては課長クラスへの昇進もありうるということで、このあたりはメンバーシップ型の利点を生かしたいところです。かつての国家公務員のI種・II種と少し似ていますが、こちらのスローキャリアはII種に較べてかなり拘束度が低く、またかつての大企業の総合職・一般職にもやや似ていますが、こちらのスローキャリアはかつての一般職よりは昇進の可能性が高く、現在の日本社会の実態(それをそのまま是とするわけではない)においても男性が選択できる可能性があるのではないかと考えるわけです。
 さてこうした提案は新しいものでも珍しいものでもなく、たとえば今や古典となった感もただよう2009年の濱口桂一郎『新しい労働社会』においても、かつての一般職的な働き方をデフォルトルールにすべきだと主張されていますし、このブログでも同じくらいの時期に旧日経連の「自社型雇用ポートフォリオ」を引きながら類似の論を展開しています。それでもなお、現在に至るまでそれほど普及・拡大しているわけではないのには、やはりそれなりの理由があるのでしょう。
 大きな課題として3つほどあると思われ、中でもおそらく最大の問題点は、当たり前といえば当たり前なのですが、ファストトラックよりスローキャリアのほうがかなりの多数になってしまうというところでしょう。繰り返しになりますが当たり前の話で、現実の企業の大卒ホワイトカラーでゼネラルマネージャーや執行役員まで昇進した人と課長どまりに終わった人の比率を見れば一目瞭然なわけです。かつての国家公務員II種の採用数はI種の3~4倍といったところで、ほかに国税や監督官や教員で霞が関に移る人もいるわけなので、まあファストトラックが2割、スローキャリアが8割という感じになるのでしょうか。もちろんファストトラックも全員がゼネラルマネージャーに昇進できるわけではなく、その中での過酷な仕事を耐え抜いて競争を勝ち抜いた半数なり3分の1なりが勝者となり、残りはまあ課長クラスどまりということになるわけです。スローキャリアの上位1-2割くらいが課長クラスに到達するとすれば、だいたい企業の組織構造に合ってくるのではないでしょうか。まあこのあたりかなり雑駁な概算であり、また産業・企業による違いも大きいでしょうが。
 これまで、日本企業では大卒総合職正社員として入社すれば全員が幹部候補生でありエリートであって、全員にゼネラルマネージャーや執行役員のチャンスがあり、4年に1人のチャンピオンが社長になるという、まあ機会均等な人事管理であり、それが日本社会の公平さと受け止められてきたのではないかと思います。逆に言えば大卒であれば(特に男性であれば)エリートでなければならないという意識も強いでしょう。そういう中では、企業組織の成長が止まり、ゼネラルマネージャーや執行役員といったポストにありつける人が減り、その分競争が激しくなっても「みんながエリート」のほうが「5人に1人がエリート」より好ましいと思う人は多いかもしれません。
 さらにその「5人に1人のエリート」をどうやって選ぶのかという問題もあり、先日ご紹介した海老原嗣生さんの提案では、とりあえず全員エリート候補として入社させ、十年くらい競争させた結果で決めるということになっていました。これはそれなりに理にかなった選び方ではありますが、ただまあそれだと多数の敗者のモチベーションにかなりの課題が残るわけで、一応ゆるやかながら昇進の道がある限定正社員についてはそれをめぐる競争もあるわけで、生産性の面では好ましいように思われます。このあたり海外でどうやってエリートを選別しているかを見ると、パブリックスクール出身者やグランゼコール出身者が職業キャリアの最初からエリートであり、就職して初職でいきなりマネージャークラスに飛びつくという英仏のような社会がどうやらグローバルスタンダードであるらしく、だから日本では優秀な留学生を日本企業が採用しても、日本人と同じように初歩からの内部育成でやろうとするので「キャリアが見えない」と言って退職していくわけですね。彼ら彼女らはエリートになるために(ノンエリートの仕事をやらなくてすむように)高いカネと多大な労力を費やして留学しているわけなので当然といえば当然かもしれません。もちろんいまの日本社会でも学歴のブランドがものを言う部分はあるでしょうが、しかしたとえば一流大学のMBAを取得すればエリートですというのが日本社会で受け入れられるかどうかはかなり難しいところでしょう。その点でどうも強気にはなれないという話はこれまでも何度か書いたと思います。これが第一の課題。
 第2第3の課題については、今日は長くなってきましたので、次回に回したいと思います。

スローキャリアな限定正社員

 さて昨日の続きで、海老原さんのご講演からは離れて私の意見を書いてみたいと思います。とは申し上げてもこれまでと大きく変わったことが書けるわけでもなく、例によって「スローキャリアな限定正社員」の導入などによる多様化、という話です。
 基本的な問題意識は「大卒ホワイトカラー総合職はほぼ全員が幹部候補生」「現業部門の正社員はほぼ全員が監督者候補生」という人事管理がサステナブルではなくなってきているという点にあり、これは昨日ご紹介した海老原さんのご講演と共通したものです。経済や企業組織が順調に拡大し、幹部や監督者のポストも増えていた時期であれば、多くの人が速さの違いはあってもそれなりに順調にキャリアの階段を上れていたわけですが、成長が停滞し、ポストが不足している現状では、厳しい競争を戦っても階段を上れない人が多くなっているわけで、もはや「階段を上らない」働き方を積極的に導入・拡大していかなければならないのではないかとの考え方もまったく同感です。
 現実にも、1990年代以降非正規雇用が大幅に拡大し、非正規比率は1987年の19.5%が2007年には32.6%にまで上昇したわけですが、その内訳を見ると臨時の非正規は12.6%から10.9%に低下する一方で、常用の非正規は6.9%から21.7%に大きく上昇しています(佐藤博樹(2013)「無期雇用の多元化と企業の人材活用の課題」による)。つまり、主として季節変動や景気変動に対応するための非正規は増えておらず、比較的長期の勤続を想定した非正規が増えたといえると思います(これは例の「5年無期」の際に雇止めではなく無期化が多かったこととも整合的です)。つまり、常用非正規の増加はかなりの部分「昇進昇格させなくていい」労働力の需要に応じるものであったと言えるのではないでしょうか。たしかに非正規雇用はジョブ型に近い性格を持っています。しかしこれは、「ジョブかメンバーシップか」という質的な問題ではなく「ファストトラックとスローキャリアをどの程度持つか」という量的な問題としてとらえたほうが適切ではないかと思います。
 こうした中で、非正規雇用の拡大にともない、正規・非正規の二極化といった問題も指摘されるようになり、それを受けて「多様な正社員」への期待が高まったことは周知のとおりです。これについても、実態を見ると、各企業においてすでに事実上勤務地限定だったり、職種限定だったりする例は当時すでに多数見られました。さらに、勤務地限定は多くの場合職種限定をともない、また、キャリアにおいても半分くらいはスローキャリアというのが実態であったわけです。
 であれば、こうした「スローキャリアな限定正社員」を人事管理のしくみとしてきちんと位置付けて拡大していけば、それほど大きな混乱を招くことなく、問題の相当の部分は解決可能ではないかと思っているわけです。職種限定になるにしても、同一職種内での異動はありえますし、スローキャリアとはいえ監督者や管理職への昇進もありうるので、ジョブ型というよりはメンバーシップ型に近いでしょう。これまた実際問題として、企業は人事権を手放すつもりはないし、学生も学校も太宗は新卒一括採用を望んでいるのであれば、なにも無理にジョブ型にする必要もないでしょう。問題はどの程度の割合まで拡大するかということで、これは産業・企業によって多様になるかもしれません。
 スローキャリアということで、たとえば一部の人は課長クラスまで昇進するが、大半は係長クラスまで、ということであれば、これは昨日ご紹介した海老原さんの「ワークライフバランス・ジョブ型」とかなり似たものになります。類似の運用がすでに各企業において事実上行われている(係長止まりの人もいる)ことも昨日書いたとおりです。違うのは、キャリア途中で入社時(典型的には新卒採用時)に限定正社員として企業・本人双方が合意して入社することと、したがってそれが明示されていることです。
 もう一つ重要なのが雇用終了の問題で、メンバーシップなので解雇回避の努力は必要だと思われますが、それは限定された勤務地・職種の範囲内だということは明らかにする必要がありそうです。もちろん拠点閉鎖や事業転換などがあった際に別の勤務地や別の職種をオファーすることは望ましいでしょうが、必要とまではしないことが限定正社員普及に向けて重要と思われます。そうすれば、拠点閉鎖などに備えて有期契約にしている非正規雇用というのを大幅に減らすことができる可能性があります。
 本日は時間切れなので次回に続きますが、もちろんこのやり方にも問題はあり、また課題も多々存在しますので、さらに続けて書いていこうと思います。

成果主義と同じ轍

 読書タグのエントリしか書かないままにすでに2月に突入してしまいました。あれやこれやでなかなか落ち着かない状況ではあるのですが(言い訳)、昨日、リクルートのオンライン講演会で海老原嗣生さんの「「間違いだらけのジョブ型雇用 ~かつての「成果主義」「コンピテンシー」と同じ轍を踏まないために~」という講演を聴講しました。相変わらずの熱く鋭いお話でしたのでご紹介のうえコメントしたいと思います。
 端的に言えば演題のとおりのお話で、まず第一は「間違いだらけのジョブ型雇用」、つまり今一部の日本企業が「ジョブ型」と称して実施しようとしていることは欧米の一般的なジョブ型とはまったく異なるもので「間違いだらけ」だ、という話です。特に間違っているのが、「ジョブ型」はジョブディスクリプションをその中心にしようとしているところ、欧米ではホワイトカラー、特に上級職のそれはタスクを具体詳細に書くことができなくなり、かなりアバウトなものになっているのが実態なのに、これから「ジョブ型」をやろうとしている日本企業はまさに欧米企業が放棄した上級ホワイトカラーの具体詳細なジョブディスクリプションを書こうとしているところだと指摘されました(他にも評価や賃金などについて決定的な相違点をいくつか指摘されました)。
 続いて第二としては、日本の働き方は日本の人事管理や日本の社会といったものの上に成立しており、同様に欧米の働き方は欧米の人事管理や欧米の社会といったものの上に成立しているところ、今やろうとしていることは日本の人事管理や社会をそのままに働き方だけを欧米のそれに変えようとしているわけでうまくいくわけがない、かつての「成果主義」「コンピテンシー」と同じ轍を踏むであろう、というお話がありました。特に重要なのは日本企業が人事管理上強大な人事権を持っている点で、企業が一方的に配置転換を命じることによって、内部育成・内部昇進で欠員補充など多様な人材ニーズにきわめて効率的に対応してきた。したがって新規採用ニーズはエントリージョブに集中するため新卒一括採用が行われるわけで、この強大な人事権を企業が手放さない限り新卒一括採用はなくならない(日立製作所さんのウェブサイトにも2021年新卒採用のエントリーページがありますね)し、今現在の仕事や職場がなくなってもそれを理由に解雇することはできない(別業務・別職場への変更が求められる)ことも変わりはない。一方でそれでも日本企業は人事権を手放すつもりはなさそうなので、ジョブディスクリプションの変更には企業と従業員双方の同意が必要となるジョブ型に移行できるわけがないという話です。
 そこで第三の論点として「同じ轍を踏まないために」という話になるわけで、日本の賃金が年功的だというが、係長止まりの人、課長止まりの人、部長以上に行った人などに分解してみると、係長止まりの人は30代なかば、課長止まりの人は40代なかばあたりで明らかに賃金カーブが寝てくる。しかし、寝ては来るけれど完全にフラットになるわけではなくて、緩やかながらも結構な額昇給している。ここはジョブ型にして、一方的な人事異動もないかわりに昇給もないという制度を導入してはどうか、というのが海老原さんの発想です。
 具体的には、まあ30代なかばくらいで、もう課長の目のなくなった人というのはわかってくるだろうから、そういう人たちはジョブ型に移行してもらって、賃金も仕事の負荷も2割減くらいにして、ほどほどに働いてワークライフバランスを実現してもらおうというものです。賃金は下がりかつ上がらなくなるわけですが、そのジョブが存在する限りはそれに見合った賃金水準での就労になるので、高年齢になっても働き続けることができるだろうし、企業倒産などで失業の憂き目を見ても転職が容易だろうし、それに代わるメリットもあるというわけですね。生計費についてもこの働き方なら共働きが十分可能なのでそれなりに確保できるだろうというわけです。
 これはまことに海老原さんらしい、核心というか本音に迫ったさすがのご提案で、いま「ジョブ型」と言っている企業は何が困ってるのかというと、係長止まりで実際の仕事もまあその程度という人でも、今の制度だとそこそこ昇給して50代くらいになると課長クラスに近い賃金になる。あるいは役職定年でポストオフした課長さんは、やはり仕事としてはポスト課長ほどの価値のない仕事に移されてしまうことが多いわけですが、それだと賃金が仕事に見合わなくなってしまう。それをなんとかしたいんでしょ…?であれば、というご提案になっていて、これは昨年末にご紹介した八代尚宏先生のご指摘(下記)とぴったり重なってくるわけです。どこぞの「ジョブ型」を標榜する企業の「個人が担う職責を即座に報酬に反映しより大きな職責へのチャレンジ意欲を喚起」なんてスローガンよりよほど率直で好感が持てますね。その「大きな職責」が足りなくて困ってるんじゃないですか?

…いくら社員が競争しても、組織が拡大せず、その成果が乏しい低成長期には、「可能性の乏しい昇進機会をめぐり、大勢の社員が馬車馬のように働く」不毛な結果となる。今後の低成長期には、出世競争は一部のワーカホリックな社員に委ねて、大部分の社員は、各々の得意とする専門的な業務に専念するジョブ型の働き方が相対的に増えることが望ましいといえる。
…1990年代初めからの長期の経済停滞期には、過去と同じような社員の生涯を通じた教育・訓練を続けることは、もはや過剰投資となっている。
(八代(2020)『日本的雇用・セーフティネットの規制改革』p.54)

 さて昨日は私はこのあとすぐに別件の講演会が予定されていたので質疑応答の途中で退席せざるを得なかったのですが、できれば確認したかったこともあり、それも含めて若干コメントしたいと思います。
 海老原さんのご提案の最大のポイントは「係長止まりでジョブ型に移行する人(ノンエリート)と課長以上を目指してメンバーシップ型を継続する人(エリート)を分ける」ところにあるわけですが、最大の疑問はその「分ける」部分はジョブ型なのかメンバーシップ型なのか、という点です。ジョブ型であれば企業と従業員の合意のもとで決めるわけで、まあ従業員にどうしますかと聞けば大半はエリートを選択するでしょう。これは就職前の教育まで含めてエリートを目指して人的投資をしてきたことを考えれば当然そうなるわけです。となると、労働契約の変更に合意ができない以上は、従前のメンバーシップ型を継続せざるを得なくなるわけですが、これでは所期の成果を達成できたとは言えそうにありません。そこで次なる手段としては企業が従業員に対して個別にノンエリートを選択するよう説得するという話になるわけで、これはまあ今「ジョブ型」を標榜しているお会社もそうお考えなのではないかと推測します(だからやたらに1on1が強調されているのではないかと邪推。上司はたいへんだよね)がそれはそれとして、これも30代なかばのタイミングで単純にやるとライフイベントとの関係もあって「女性≒ノンエリート」に固定してしまいかねないなと心配することしきり。「ジョブ型」はもっと上の年齢層を想定していると思われるのでそこは大きな問題にならないかもしれません(つか現時点ではそのあたりはすでに男性ばかりだよねきっと)。
 ただ、ノンエリートを選択することで別の部分(ワークライフバランスとか転職が容易とかいう曖昧なものではなく明確なもの)で恩恵があるということであれば話は全く異なってくるわけで、たとえばかつて60歳定年延長とセットで55歳からの賃金は大幅ダウンとかいう話は普通にありました。ここでも、たとえばノンエリートを選択すれば定年廃止か70歳定年を選択できますとかいう制度であればそちらを積極的に選択する人は出てきそうです(女性に偏る可能性は依然としてありますが)。今回「ジョブ型」をやりますと言っている企業の中でも、三菱ケミカルさんは定年延長や将来的な定年廃止をセットで考えているらしく、そうなればむしろ(「ジョブ型」であってもなくても)仕事を楽にして賃金を下げる仕組みは相当必要性が高いだろうなとも思えるわけです。
 逆にそういう話でもないかぎり、ここまではやはりメンバーシップ型で企業が一方的に「あなたはエリート、あなたはノンエリート」とやらざるを得ないのでしょう。とりあえず賃金を下げなければ「あなたはもはやどんなに頑張っても係長止まりに決めましたから今後はずっとこの同じ仕事でほどほどに働いてワークライブバランスを充実してください」というのも企業のご自由ではありましょう。現実の問題として、八代充史先生が指摘された「隠微なファストトラック」みたいなものはあちこちで見られるわけで、もはやこの先昇進昇格のチャンスはありませんということになったなら、黙って期待を持たせたままで働かせ続けるよりは、そうはっきり伝えたほうがフェアなのではないかとか、本人のためにもいいのではないかという考え方もあると思います。
 いっぽうで賃金を下げるとなると、さすがに「仕事もそれに見合った楽なものにするから」では済まされないのではないかという気がします。海老原さんのご提案のもう一つのキモが30代なかばくらいまではメンバーシップ型で企業の内部人材育成力を活用するという部分で、これは確かに日本企業の競争力の源泉の一つなのでフルに生かしたいところではあります。ただ、メンバーシップ型とジョブ型を接続することの不具合というのもあって、ここがその一つですね。30代なかばまではメンバーシップ型で企業に人事権があるので、ノンエリートに区分された従業員にしてみれば「そんな私に誰がした」という話になって当然でしょう。でまあそれは企業がそうしたとしか言いようがない。特に現状の日本企業においては、エリートに選抜されなかったのは従業員本人の能力不足などではなく、能力を発揮して成果を示せるような仕事・ポジションを企業が付与しなかったから、というケースも相当出てきそうです。そういう状況で、一方的にノンエリート指定するところまではともかくとして、賃金を下げるような形で業務を変更することがフェアかというと、まあなかなかそうは言えないのではないかと思うわけです。
 もう一つの不具合はすでに書いたことと関連しますが、ノンエリートに区分された人の30代なかばまでの人材投資はかなりの部分過剰投資になってしまうという点ですが、これは全てがムダになるわけではなく、また現状に較べればその後の過剰投資はかなり削減できるわけなので許容すべき範囲なのかもしれません。
 今日のところは海老原さんのお話に関する感想ですが、私なりの意見は明日以降エントリを改めて書きたいと思います。

濱口桂一郎『新型コロナウイルスと労働政策の未来』

 われらがhamachan先生こと濱口桂一郎先生から、最新著『新型コロナウイルスと労働政策の未来』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

新型コロナウイルスと労働政策の未来

新型コロナウイルスと労働政策の未来

 東京労働大学特別講座における同名の講演を書籍化したものということで、新型コロナ禍において次々と打たれた多岐にわたる雇用政策の数々が、その背景や経緯をふまえて整理されていて、全体像をつかみつつ細部を確認できる一冊となっています。巻末(というかこちらのほうがボリュームが大きい)には関連するさまざまな資料類が幅広く収載されています。巷間ではコロナ禍によってさまざまな社会問題・課題が顕在化したとされており、それへの対処はいずれ「労働政策の未来」につながっていくのでしょうか。当分は混乱もありそうですが、政労使による適切な対応が期待されるところです。

産政研フォーラム2020年冬号

 (公財)中部産業・労働政策研究会(中部産政研)様から、『産政研フォーラム』2020年冬号(通巻128号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。
www.sanseiken.or.jp
 今号の特集は前号・前々号に続いて「これからの技術革新の中での働き方3」で、この問題への関心の深さが窺えますが、今回は東大の柳川範之先生のインタビューが掲載されています。まあしかし読んでみると比較的穏当な論調で(それでも企業内訓練についてはまだ過小評価だと思いますが)、かつてのNIRA「終身雇用という幻想を捨てよ」の頃に較べるとずいぶん実情をふまえた議論になっているなと感じました。まああれももう10年以上前になりますしね。呼び物の大竹文雄先生の連載「社会を見る眼」は「品不足の理由」で、昨今品不足で話題になったマスクの例とトイレットペーパーの例を対比させて、前者には価格調整(と再分配)による対応、後者には(適切な)情報提供による対応が適当だということがわかりやすく説明されています。

経団連『2021年版経営労働政策特別委員会報告』同事務局『2021年版春季労使交渉・労使協議の手引き』

 (一社)経団連事業サービス様から、例年刊行されている『2021年版経営労働政策特別委員会報告』と『2021年版春季労使交渉・労使協議の手引き』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

2021年版 春季労使交渉・労使協議の手引き

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  • 発売日: 2021/01/23
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 今年はやはり新型コロナの影響が色濃く反映されていますが、基本的な方向性は大きく変わったということでもなさそうです。「報告」は例によって別途コメントさせていただくとして、「手引き」は新しい事例なども多く紹介されており、人事担当者にはお役立ちでしょう。特に日立製作所の「ジョブ型」の事例が比較的詳しく紹介されているのが目を引きます。