骨太方針(続き)

 昨日取り上げた骨太方針素案ですが、自民党内手続で最低賃金引き上げに異論が出たとか。今朝の日経新聞から。

 自民党は12日、党本部で政調全体会議と経済成長戦略本部の合同会議を開き、政府がまとめた経済財政運営の基本方針(骨太の方針)の素案について議論した。最低賃金を年3%程度引き上げ、全国加重平均で1000円を目指す目標に関しては賛否両論が出た。自民党は来週以降に改めて会議を開き、骨太の方針案を了承する見通しだ。
 最低賃金を巡っては政府が11日に公表した素案に「より早期に全国加重平均が1000円となることを目指す」と明記した。「生産性の底上げを図り中小企業が賃上げしやすい環境整備に取り組む」と強調した。日本商工会議所など中小企業団体は大幅な最低賃金の引き上げに反対している。
 12日の自民党の会合では出席者から、地方の景気や外国人労働者の受け入れ拡大を見込んで最低賃金を引き上げるべきだとの意見が出た。一方で「中小企業に過重な負担がかかる」と慎重な声も上がった。
(令和元年6月13日付日本経済新聞朝刊から)

 日経新聞はオピニオン面でもこの問題を取り上げて、日商の三村会頭と連合の神津会長のインタビュー記事をそれぞれ掲載するという力の入りようなのですが、まずさて骨太方針の記載がどうなっているかというと、

(2) 最低賃金の引上げ
 経済成長率の引上げや生産性の底上げを図りつつ、中小企業・小規模事業者が賃上げしやすい環境整備に積極的に取り組む。生産性向上に意欲をもって取り組む中小企業・小規模事業者に対して、きめ細かな伴走型の支援を粘り強く行っていくことをはじめ、思い切った支援策を講じるとともに、下請中小企業振興法に基づく振興基準の更なる徹底を含め取引関係の適正化を進め、下請事業者による労務費上昇の取引対価への転嫁の円滑化を図る。
 最低賃金については、この3年、年率3%程度を目途として引き上げられてきたことを踏まえ、景気や物価動向を見つつ、これらの取組とあいまって、より早期に全国加重平均が1000円になることを目指す。あわせて、我が国の賃金水準が他の先進国との比較で低い水準に留まる理由の分析をはじめ、最低賃金のあり方について引き続き検討する。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019r/0611/shiryo_02-1.pdf

 例によって機種依存文字(ryさてもちろん最賃が多分に中小企業問題であることは間違いないでしょうが「最低賃金の引上げ」の項目の冒頭に「賃上げしやすい環境整備」が出てくるというのはなかなかの違和感ではあります。なお最後にも「我が国の賃金水準が他の先進国との比較で低い水準に留まる理由の分析」というのが出てくるのですが、さすがにこれは文脈からしても「最低賃金(水準)」のことでしょうね?
 さて日経新聞の三村会頭のインタビューを見てもすでに中小企業は「人手を確保するために賃上げをせざるをえない。防衛的な賃上げを余儀なくされている」のが実態なので、中小企業としても最賃が上がること自体は受け入れざるを得ないし、それも含めて「賃上げしやすい環境整備」という話になるのだろうとは思います。となると骨太方針素案にある「労務費上昇の取引対価への転嫁の円滑化」が切実な要請ということになり、仮にすべて価格転嫁して納入先や消費者が吸収してくれるのであればそれだけで生産性も上がるという、これはいつもの話です。
 問題はどこでどうやって吸収するかで、まあ納入先が大企業であればそこでなんとかしてくれんかというのはそれなりにあり得る話でしょう。その分大企業労働者の賃金が上がりにくくなれば格差縮小につながるという話にもなるかもしれません。とはいえそれではマクロ成長にはつながらないわけで、結局のところは消費の活性化が重要であることは言をまちません。日経のインタビュー記事をみても神津会長は「消費拡大や企業の生産性が伴って、賃金と相乗効果をあげていかないといけない」と発言されており、このあたりぜひ連合には組合員の消費拡大を促す取り組みをお願いしたいところです。
 とはいえそれもなかなか容易ではないというのもいつもの話で、こういう話は総論としては受け入れられても各論になったとたんに個別の組合員は「みなさんどんどん消費を拡大してくださいね私だけは倹約して貯蓄するからさあ」という話になりがちなわけで、それが日経インタビュー記事での三村会頭の「賃金を上昇させれば消費が増えるという基本的な考え方も疑問だ。消費を増やすのは大賛成だが、実際は消費性向は下がって貯蓄性向が高まっている」という話につながるわけですね。もちろん現に人手不足で賃金引き上げを余儀なくされている中では「だから賃上げしません」という話にはなりようがないわけですが、正直言ってどこまで消費につながるかと言われればこのところの金融審議会の報告書をめぐるバカ騒ぎを見るにつけ悲観的にならざるを得ません。なにやってんだよもう…。
 さて骨太方針の話に戻りますと、最初に「経済成長率の引上げや生産性の底上げ」となっているので、「経済成長→賃金上昇→最賃上昇」という正常なプロセスが一応想定されているようなのでそこは安心しました(まあ成果は早く欲しいでしょうから並行して進めるくらいの感じかもしれませんが)。世間には最賃を先行して上げることで生産性向上の取り組みを促すといった意見もあり、私も個別企業であれば労使で「先行して賃上げし、労使で生産性向上ガンバロー」みたいは話はありだと思いますが、しかし全企業にあまねく適用される最賃を使ってあらゆる企業の生産性を上げるというのはさすがに無理があるのではないかと思います(三村会頭もインタビューの中で「セーフティーネットである最低賃金を生産性の引き上げや賃金全般を引き上げる道具として使うのはおかしい」と指摘しておられますが概ね同感です)。
 また、骨太方針素案は最賃引き上げのペースについて「この3年、年率3%程度を目途として引き上げられてきたことを踏まえ、…より早期に全国加重平均が1000円になることを目指す」という書いています。これはまあ普通に読んで年率3%以上を意図しているということになるでしょう。問題はそのペースに現場がついていけるかどうかで、自民党が心配しているのもそこでしょうし、三村会頭もインタビューの中で「3年後に1000円に引き上げるとすると上げ幅は年5%となる。これは大きすぎる」と述べておられます。一方で5%引き上げがいいのではないかと主張する経営者(経済財政諮問会議間議員ですが)もいたわけですが、連合の神津会長は日経のインタビュー記事の中で「5%は検討に値するが、重要なのはどのように格差を圧縮していくかという設計図を考えていくことだ。単に5%だけということで今の仕組みを踏襲すると、かえって格差が広がる」と発言しておられ、格差縮小に較べると5%といった引き上げ幅にはあまり関心が強くないようにも思われます。一般論として実態として守れないような規制を強行すると混乱を招くというのは先行して最賃を大幅に引き上げた隣国の状態をみれば十分予測できるわけで慎重さが必要だろうと思います。
 なお「我が国の最低賃金水準(だよな?)が他の先進国との比較で低い水準に留まる理由の分析」はまあおやりになればいいと思います。なんとなくわが国の無限定正社員中心の労働市場構造の問題がありそうな気がしますが…(気がするだけ)。
 さて本日はもう一点だけ、骨太方針素案は例年どおり?地域創生に熱意を示しており、地方にカネを流すだけでなくヒトを流すことも主張しています。「人口減少下での地方施策の強化・人材不足への対応」という節があり、前半は例のバス会社と地銀に関する独禁法の話なのですが、後半は「地方への人材供給」となっていて、こう記述されています。

 日本全体の生産性を向上させるためにも、地域的にも業種的にもオールジャパンでの職業の選択がより柔軟になることが必要である。
 特に、疲弊が進む地方には、経営水準を高度化する専門・管理人材を確保する意義は大きい。一方、人生100年時代を迎える中で、大都市圏の人材を中心に、転職や兼業・副業の場、定年後の活躍の場を求める動きは今後さらに活発化していく。これら2つのニーズは相互補完の関係にあり、これらを戦略的にマッチングしていくことが、今後の人材活躍や生産性向上の最重点課題の1つである。
 しかしながら、地方の中小・小規模事業者は、往々にしてどのような人材が不足しているか、どのような機能を果たして貰うべきかが明確化できておらず、適切な求人ができないか、獲得した人材を適切に処遇できていないのが現状である。
 また、結果として地方での人材市場が未成熟なため、人材紹介事業者も、地方での事業展開は消極的で、地方への人材流動は限定的である。
 こうした現状に鑑み、(i)受け手である地域企業の経営戦略や人材要件の明確化を支援する機能の強化(地域金融機関の関与の促進等)、(ii)大都市圏の人材とのマッチング機能の抜本的強化、(iii)大都市圏から地方への人材供給の促進を促す仕組みを構築し、大都市圏から地方への専門・管理人材の流れを一気に加速させていくこと、に重点的、集中的に取り組む。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019r/0611/shiryo_02-1.pdf

 結局のところは適切な求人ができないに尽きるのではないかと思うのですね。「獲得した人材を適切に処遇できていない」こともあるでしょうが、それ以前に獲得できていないことが多いのではないかと。その要因も、「どのような人材が不足しているか、どのような機能を果たして貰うべきか」ではなく、端的に労働条件の問題ということではないかと思います。もちろんカネがすべてではなく、役割とか権限とかやりがいのある仕事とかも含めた総合的な労働条件ということにはなるわけですが、まあそれなりの人材を獲得したいのであればそれに見合った労働条件の適切な求人ができないとねえという話だろうと思います。
 そこで狙いは「人生100年時代を迎える中で、大都市圏の人材を中心に、…定年後の活躍の場を求める動きは今後さらに活発化していく」というところになるわけですね。たしかに、定年前の人だと、日本企業の後払い賃金を取り戻している状況にあるわけで、正直、前の会社が作った借りまで払えと言われてしまうと求人企業としてもツラいものがあるでしょう。その一方で、定年してしまえばその時点で後払い賃金の精算も完了したことになり、定年後再雇用は賃金水準も大幅に下がってまあ生産性に応じた水準ということになるわけで、それなら地方の中小・小規模事業者でもなんとか支払えるのではないか…というのはあり得そうな気もします。さらに言えば、子弟がすでに成人し就職しているという状況であれば、広域移動も比較的受け入れやすかろうということも期待できるかもしれません。
 ということで、魅力ある仕事と良好な生活環境にそれなりの賃金という労働条件が提示できれば、大都市圏から地方への専門・管理人材の移動が起きる可能性はあるだろうとは思います。ただまあかなり慎重にマッチングしたとしてもやはり不適合が起きる可能性というのは一定程度あるので、そのリスクまでカバーできる労働条件でなければ「一気に加速させていく」には力強さを欠くかなあという感もあります。そのあたりが知恵の使いどころでしょうか。

骨太方針

 経済財政諮問会議がいわゆる「骨太の方針」の案を示したということで、日経新聞が1面で大々的に報じています。

 政府は11日、経済財政運営の基本方針(骨太の方針、3面きょうのことば)の素案を公表した。今年10月に消費税率を10%に引き上げると明記した。「海外経済の下方リスクが顕在化する場合には機動的なマクロ経済政策を躊躇(ちゅうちょ)なく実行する」と記し、景気動向次第で経済対策を編成する方針も記した。
(令和元年6月12日付日本経済新聞朝刊から)

 「経済財政運営と改革の基本方針」なので行政全般にわたって網羅的に記載されているわけですが、その中でも日経新聞は労働関連に強く反応していて、経済面では「支え手拡大へ雇用改革」「社会保障維持へ骨太素案」「氷河期世代、正規30万人増へ」「女性・高齢者、年功から能力給に」などと麗々しく見出しを並べて力の入った記事を展開しています(https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190612&ng=DGKKZO45961540R10C19A6EE8000、有料かもご容赦)。
 まず記事の前半は見出しでいうと「支え手拡大へ雇用改革」「社会保障維持へ骨太素案」「女性・高齢者、年功から能力給に」にあたる内容になっています。

 政府が11日示した経済財政運営の基本方針(骨太の方針)の素案では、社会保障の支え手拡大に軸足を置いた。働く高齢者や女性は増えており、雇用形態にかかわらず能力や意欲を評価する仕組みに変えていけるかが課題だ。今年の骨太で焦点を当てた就職氷河期世代が生まれたのは新卒採用に偏重した雇用慣行にある。年功序列と一括採用を前提にした日本型雇用の転換が急務だ。
 骨太の素案では「全世代型社会保障への改革」を柱に据えた。70歳まで就業機会を確保するよう企業に定年延長などの環境整備を求める。パート労働者すべてが厚生年金などに加入する「勤労者皆保険制度」の実現を掲げた。長く働き、税金や社会保険料を負担する人を増やす政策だ。

…女性や高齢者は社会保障の支え手として1人あたりの稼ぐ力は十分とはいえない。女性や高齢者の雇用形態はパートなど非正規が多い。例えば、65歳以上になると非正規比率は75%を超す。パート労働者の平均賃金は月10万円弱。30万円台の正規社員と比べれば格差は大きい。
 日本企業の間では一定の年齢になると退職・再雇用の扱いとなり、賃金を一律で3割下げるといった措置がある。女性は育児休業で勤続年数が短くなると、男性に比べ賃金は低くなりやすい。年功型から能力に応じた制度へと変える必要がある。
(令和元年6月12日付日本経済新聞朝刊から)

 さて実際の記述はどうなっているのだろうかということで、内閣府のウェブサイトで公開されている「経済財政運営と改革の基本方針2019(仮称)(原案)」を見てみました。
 まず「全世代型社会保障への改革」については日経の記事とはかなり感じが違っており、労働政策の大半は70歳までの就労の記述に費やされています。具体的には、65歳超70歳までの就労の選択肢として次の7つをあげ、

(a)定年廃止
(b)70歳までの定年延長
(c)継続雇用制度導入(現行65歳までの制度と同様、子会社・関連会社での継続雇用
を含む)
(d)他の企業(子会社・関連会社以外の企業)への再就職の実現
(e)個人とのフリーランス契約への資金提供
(f)個人の起業支援
(g)個人の社会貢献活動参加への資金提供

 まずはいずれかによる70歳就業確保を努力義務とし、その進捗を踏まえて、次の段階として65歳雇用延長導入時のような基準制度付きで義務化(企業名公表)を行うとされています(基準制度については「検討する」なので基準制度なしの全面義務化も一応排除されてはいない)。年金制度との関連においては、定年制を設ける場合は公的年金の満額受給年齢と接続するというグローバルスタンダードを踏まえて、支給開始年齢の引き上げは行わないとされています。さすがに「フリーランス契約への資金提供」や「起業支援」では接続しているとは言えないという常識的な判断でしょう。
 スケジュール感については来年(2020年)通常国会に前段(努力義務)の法案を提出と記載されているのみですが、まあわざわざ「進捗を踏まえて」と念を押したうえで2段階方式を採用しているということは相当に漸進的な取り組みを念頭に置いているものと思われます。これまでも、60歳定年にしても65歳継続雇用にしても、労使の取り組み状況を見ながらかなりの時間をかけて実現してきているわけで、70歳に向けた取り組みはさらに難しい課題であることを考えれば、十分に時間をかける必要があるものと思われます。
 さて日経が力説している「新卒採用に偏重した雇用慣行」「年功序列と一括採用を前提にした日本型雇用の転換」についても、続けて記述があることはあり、70歳継続雇用に続いてこう書かれています。

(2)中途採用・経験者採用の促進
 人生100年時代を踏まえ、働く意欲がある労働者がその能力を十分に発揮できるよう、雇用制度改革を進めることが必要である。特に大企業に伝統的に残る新卒一括採用中心の採用制度の見直しを図ると同時に、通年採用による中途採用・経験者採用の拡大を図る必要がある。このため、企業側においては、採用制度及び評価・報酬制度の見直しに取り組む必要がある。政府としては、個々の大企業に対し、中途採用・経験者採用比率の情報公開を求めるといった対応を図る。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019r/0611/shiryo_02-1.pdf

 例によって機種依存文字(丸付数字)は括弧付数字に変更しました。でまあこれが全文なので70歳就労に較べると力の入り方の違いは歴然なように思われます。「新卒一括採用中心の採用制度の見直し」についてはまあ間議員があれだけ言ったわけですし、「中途採用・経験者採用協議会」なんてものも作ってしまったわけですし、簡単には旗を降ろせないという事情でしょうか。もっともこの「中途採用・経験者採用協議会」、経済産業省が事務方になって(なぜ?)発足したものの去年の暮れと今年の4月に開催されただけで沙汰やみになっているようでありどうなるのかしら。先月開催された未来投資会議でも一応「高齢者雇用促進及び中途採用・経験者採用の促進」が議題になっているけど資料をみると基本的に高齢者雇用の話ばかりだしなあ(「地方への人材供給」の話の中には高齢者とともに中途採用の話もあることはありますが)。
 ちなみに実態はどうなっているのかというとリクルートワークス研究所中途採用実態調査(2017年度実績)によれば、正社員採用に占める新卒採用の割合は34.7%、中途採用が65.3%であり、うち40.8%が未経験者となっていますね。骨太方針は「特に大企業に伝統的に残る」と書いているわけですが、5000人以上の大企業をみても新卒は62.6%にとどまり、中途が37.4%に達していて、うち未経験者は25.2%にとどまっています(ただこれには第二新卒が一部含まれている可能性はあるかも)。1社当たり中途採用数を見ても66.86人から78.55人と17.5%増加していて、経団連会長に言われるまでもなく実態はその方向に進んでいるわけですね。「企業側においては、採用制度及び評価・報酬制度の見直しに取り組む必要がある」ってのは端的に余計なお世話だと思いますが、まあ政府が「中途採用・経験者採用比率の情報公開を求める」くらいのことはおやりになればいいのではないでしょうか。現実にはやや悩ましいところはあり、あまり中途採用の比率が高いと「人材育成に熱心でない企業」というメッセージになってしまって優秀な新卒者に敬遠されるリスクはなくもありませんが、まあそれほど大きな害もあるまい。
 なお日経は「女性・高齢者、年功から能力給に」と大々的に見出しにしているわけですがあのすいません「素案」には「年功」も「能力給」も一度も出てこないんですが。まあ「評価・報酬制度」を意訳したということかもしれませんがあたかも骨太方針にそのとおり書かれているかのような印象を与えることは否定できないわけでそれってどうよ。さらに能力給に限らず成果・出来高給や職務給であってもいいわけで、つか日経新聞さんは能力給(職能給)には批判的で職務給とかそちらを推していたのではなかったかと不審に思うことしきり。ちなみに「評価・報酬制度」が出てくるのもこの1カ所だけ(新卒一括採用は後のほうでも出てくる)。どうなんでしょうかねえ。
 さて日経新聞の記事に戻って後半は就職氷河期世代支援の話になります。

 「就職氷河期世代への対応は、わが国の将来に関わる重要な課題だ。計画を策定するだけでなく、実行こそが大事だ」。安倍晋三首相は11日の経済財政諮問会議でこう語り、関係閣僚に対応を指示した。
 素案では今後3年間を「集中支援期間」とし、30代半ばから40代半ばの氷河期世代の就職を支援する考えを示した。この世代の正規雇用で働く人を3年間で30万人増やすことをめざす。全国の支援拠点と連携し、就業に直結しやすい資格取得などを促す。
 氷河期世代が卒業したのは1993年から04年ごろ。バブル経済の崩壊やその後の金融危機の影響で、企業が新卒採用を大幅に絞った時期だ。他の世代に比べ、正規で働きたくても働けない不本意な非正規が多い。氷河期世代で非正規や働いていない人は90万人を超す。高齢化すると十分な年金を受け取れず、生活保護に頼る世帯が急増すると懸念されている。
 この世代を正規社員として働けるようにするには、新卒一括採用と終身雇用の見直しが欠かせない。景気後退期に就職活動する世代が希望通りの仕事に就けない問題は潜在的にある。新たな氷河期世代を生まないためにも中途採用の拡大を進めていく必要がある。
(令和元年6月12日付日本経済新聞朝刊から)この世代を正規社員として働けるようにするには、新卒一括採用と終身雇用の見直しが欠かせない

 いやその「この世代を正規社員として働けるようにするには、新卒一括採用と終身雇用の見直しが欠かせない」と言うわけですが、日経のいわゆる「終身雇用」、まあ一般的な用語としては長期雇用だと思いますが、それを見直しちゃったらそもそも「正規社員」自体が消滅しちゃうジャン。骨太方針素案には(氷河期世代の)「正規雇用者については、30万人増やすことを目指す」と書いてあるんですが、これは長期雇用の正社員を30万人増やすという意味だと思うんだけどなあ。ちなみに素案にはやはり「終身雇用」も「長期雇用」も一度も出てきませんが…。
 さてそれはそれとして骨太方針はどう書いているかといいますと、「就職氷河期世代支援プログラム」ということで1項をあてていて、その最初にこうあります。

 いわゆる就職氷河期世代は、現在、30代半ばから40代半ばに至っているが、雇用環境が厳しい時期に就職活動を行った世代であり、その中には、希望する就職ができず、新卒一括採用をはじめとした流動性に乏しい雇用慣行が続いてきたこともあり、現在も、不本意ながら不安定な仕事に就いている、無業の状態にあるなど、様々な課題に直面している者がいる。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019r/0611/shiryo_02-1.pdf

 ここでもう一回新卒一括採用が出てくるわけですね。ただ実態を見ると前述ワークス研究所調査にもあるようにどこまで「流動性に乏しい」といえるかどうかは微妙なような気もします。どちらかというと「流動性に乏しい」といった構造的な問題よりも景気動向という循環的要因が大きいのではないかなあ。要するに氷河期世代というのはバブル崩壊金融危機以降からアベノミクス景気までの間、雇用失業情勢の厳しい状況が長期間続いたことが最大の原因だったわけであり、仮にあの当時労働市場の構造が流動的だったとしても、しょせん多くの企業が「採用ゼロ」という状況の中では就職も進みにくかったでしょう。そういう意味では日経新聞が書くとおり「景気後退期に就職活動する世代が希望通りの仕事に就けない問題は潜在的にある」わけですが、「新たな氷河期世代を生まないため」には「中途採用の拡大を進めていく」のではなく不況期を短期にとどめる適切な経済政策・金融政策によって、新卒採用が不調だった人が第二新卒市場で正社員就職できるような環境を整備することではないでしょうか。
 さて続きを読みますと、

就職氷河期世代が抱える固有の課題(希望する就業とのギャップ、社会との距離感、実社会での経験不足、年齢の上昇等)を踏まえつつ、個々人の状況に応じた支援により、正規雇用化をはじめとして、同世代の活躍の場を更に広げられるよう、地域ごとに対象者を把握した上で、具体的な数値目標を立てて3年間で集中的に取り組む。
 支援対象としては、正規雇用を希望していながら不本意に非正規雇用で働く者(少なくとも50万人)、就業を希望しながら、様々な事情により求職活動をしていない長期無業者、社会とのつながりを作り、社会参加に向けてより丁寧な支援を必要とする者など、100万人程度と見込む。この3年間の取組により、これらの者に対し、現状よりも良い処遇、そもそも働くことや社会参加を促す中で、同世代の正規雇用者については、30万人増やすことを目指す。

 やはり「希望する就業とのギャップ」がキーワードでしょうがさまざまな側面がありそうで、とりあえず雇用形態という面では従来型の長期雇用の正規雇用者を30万人増やすことを目指すということは読み取れます。他の論点もありそうですが後述します。
 そこで具体的な施策ですが、(i)として「相談、教育訓練から就職まで切れ目のない支援」、(ii)として「個々人の状況に合わせた、より丁寧な寄り添い支援」が上げられていて、アウトリーチを含む双方向でホリスティックな支援が想定されているようです。
 ここで注目されることのひとつが「受けやすく、即効性のあるリカレント教育の確立」で、職種の面における「希望する就業とのギャップ」を克服しようということだろうと思います。具体的な内容としてはこう書かれているわけですが、

正規雇用化に有効な資格取得等に資するプログラムや、短期間での資格取得と職場実習等を組み合わせた「出口一体型」のプログラム、人手不足業種等の企業や地域のニーズを踏まえた実践的な人材育成プログラム等を整備…

さて「正規雇用化に有効な資格」というのがなかなかイメージできなくて困るわけです。もちろん薬剤師とか税理士とかいった稀少な資格であればきわめて有効でしょうがたとえば10万人とかいう話は端的に困難でしょうし、いっぽうで簿記2級くらいだと派遣社員に勝てないんじゃないかと思わなくもない。
 これについては先月末に開催された「第2回2040年を展望した社会保障働き方改革本部」で提示された「厚生労働省就職氷河期世代活躍支援プラン」が参考になり(共通する内容も多いのでたぶん「プログラム」の原型でしょう)、そちらにはこう書かれています。

就職氷河期世代 の方向けの「短期資格等習得コース(仮称)」を創設し、短期間で取得でき、安定就労につながる資格等(例.運輸・建設関係)の習得を支援するため、人材ニーズの高い業界団体等に委託し、訓練と職場体験等を組み合わせ、正社員就職を支援する出口一体型の訓練を行う。
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000513529.pdf

 ということで、骨太方針の「プログラム」では「人手不足業種」とやんわり書いていますが、結局は「プラン」にあるように運輸・建設関係ということになるようです。実際、大手の求人サイトなどを見ても、この分野では年齢不問・未経験者歓迎で住宅賄付き日給12,000円の正社員求人というのが(まあ内実が能書きどおりかどうかはわからないのではありますが)かなり見つかるわけで、それでもなかなか充足していない。まあ集まるくらい賃金を上げろという話もあるでしょうが未経験者にどこまで払えるかという事情もあり、結局は外国人という話になってしまっているわけですね。たしかにここなら短期で取得できる資格があれば正規雇用化につながりやすいでしょう(作業主任者などの本格的な資格は実務経験3年とか求められるので難しいですが)。
 とはいえ、現にこれら業界では人が集まっていないという状況であるわけで、支援でどれほど職種における「希望する就業とのギャップ」が埋められるか、あまり期待しすぎることもできなかろうという感はあります。これについては、まあ就職に結びつけることが最重要だというのはわかるのですが、必ずしも人手不足業種に限ることもなく(もちろんだぶついている業種・職種はダメですが)「正社員採用しなくてもいいから働かせて、スキルが身に着くOJTだけやってあげてください、人件費も含めて経費は全額助成しますから」といったしくみをつくることも大いに検討に値するのではないかと思うのですがどうでしょうか。もちろん良ければ採用すればいいわけですし、必ず・できれば採用しろ、という負担がなければ協力する企業もあるのではないかと思います。
 もうひとつ骨太方針で目をひいたのが次の記述で、

…併せて、地方経済圏での人材ニーズと新たな活躍の場を求める人材プールのマッチングなどの仕組みづくりやテレワーク、副業・兼業の拡大、柔軟で多様な働き方の推進により、地方への人の流れをつくり、地方における雇用機会の創出を促す施策の積極的活用を進める。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019r/0611/shiryo_02-1.pdf

 これは勤務地における「希望する就業とのギャップ」を克服しようということでしょう。東京一極集中もつまるところはたぶんに労働者が良好な就労機会を求めた結果であることを考えれば、いい仕事があれば地方に行ってもいいという氷河期世代の人もいるかもしれません。この骨太方針は(まあ例年の話といえばそうなのですが)地方創生、地方への人材還流にかなり力点が置かれているのですが、氷河期対策での活用も想定しているということのようです。
 ということで骨太方針そのものを読むと日経新聞さんの意気込みほどの内容でもないような感はあるわけですが、日経さんがあまりご関心のないような部分でもいろいろ興味深い内容もありますので次回以降書ければ書きたいと思います。

規制改革推進会議答申

 昨日、政府の規制改革会議が答申を提出しました。日経新聞は「労働市場整備が柱」と見出しを打っていますね。

 政府の規制改革推進会議(議長・大田弘子政策研究大学院大教授)は6日、安倍晋三首相に答申を提出した。職務や勤務地、労働時間を限定する「ジョブ型正社員」の法整備や兼業・副業の推進など労働市場の改革が柱だ。首相は「規制改革は成長戦略の柱だ。スピードこそ最も重要な要素という認識で改革を進めたい」と強調した。
(令和元年6月7日付日本経済新聞朝刊から)

 ということでさっそく見てみたのですが、まず目についたのが兼業・副業についての記載が従来に較べてかなり踏み込んだものになっていることです。

<基本的考え方>
 副業・兼業は、本人の持つ技能の活用を通じた収入増や転職の可能性を広げるとともに、人手不足経済では労働資源の効率的な配分を図る上で効果的な手段である。
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/publication/toshin/190606/toshin.pdf

 ここは正直「おっ」と声が出たところで、なにかというと副業・兼業を促進する理由として正面から「収入増」と書いているからです。もちろんこれまでも例の「副業・兼業の促進に関するガイドライン」では働く人が副業・兼業を希望する、行う理由やそのメリットのひとつとしては「十分な収入の確保」を上げてはいましたが、その一方で政策的に環境整備を行う理由としては「自身の能力を一企業にとらわれずに幅広く発揮したい、スキルアップを図りたいなどの希望を持つ労働者がいることから」としているわけです。他にも、たとえば未来投資戦略2018では「副業・兼業を通じたキャリア形成を促進するため」とされていますし、それに先立つ「新しい経済政策パッケージ」でも「労働者が一つの企業に依存することなく主体的に自身のキャリアを形成することを支援する観点から、副業・兼業を促進する」となっています。一方で現実に行われている副業・兼業や今後「促進する」結果増えるであろう副業・兼業はおそらく追加的な収入を目的とするものが相当に含まれているだろうことは容易に想定できるわけなので(すみません今現在手元に証拠がありませんのでそうではないという根拠を見せられれば恐れ入る準備はあります)、まあ今回ようやくそうした現状も視野に入ってきたのかなと思ったわけです。
 さらに報告は続けて労働時間通算原則についてもかなり踏み込んで記述しており、

…本業の使用者が副業・兼業先での労働時間を把握し、通算することは、実務上、相当の困難が伴う。労働者の自己申告を前提としても、この問題が解消されるわけではない。また、現行制度では、法定時間外労働は「後から結ばれた労働契約」で発生するという解釈により、主に副業の使用者が、時間外労働に対する割増賃金支払義務を負うとともに、時間外労働時間の上限規制の遵守の義務を負うこととなる。
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/publication/toshin/190606/toshin.pdf

 もちろん報告書では細々とは書けないでしょうが、実際には話はそれほど単純なわけではなく、現実問題としては副業・兼業先も本業先での労働時間を把握し通算しなければ仕事にならないわけですし、割増賃金や上限遵守義務についてもあくまで「主に」副業の使用者であって本業の使用者がこれをすべて免れるわけではありません。それはそれとしてここで目についたのは「労働者の自己申告を前提としても、この問題が解消されるわけではない」と一刀両断していることで、実はこのあたりは(報告でもこのあと登場しますが)現在開催されている厚生労働省の「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」でいろいろと苦心して議論しているところなのですね。まあそれだけ苦心するということは結局は「自己申告を前提としても問題は解消されない」ということなのだろうという話かもしれませんが…。
 ということで、<基本的な考え方>の結論はこうなっています。

 そもそも、時間外労働に対する使用者の割増賃金支払義務は、同一の使用者が過度に時間外労働に依存することの防止にあると考えるべきであり、労働者の自由な選択に基づく副業・兼業についての現行の通達の解釈は適切ではない。
 このため、労働者の健康確保の重要性には十分留意しつつも、労働者にとって大きな利点のある副業・兼業の促進の視点から、労働時間の通算に関する現行制度の解釈・運用を適切に見直すべきである。

 なるほど労働者にとって大きな利点のあると言い切るためには収入増に言及せざるを得ないでしょうね。「転職の可能性」だけだと労働者に(大きいどころか)あまり利点がない、あるいは極端な場合不利益なケースというのも想定せざるを得ないわけであって。
 さてこれをふまえた実施事項ですが、こうなっています。

 厚生労働省は、労働者の健康確保や企業の実務の実効性の観点に留意しつつ、労働時間の把握・通算に関する現行制度の適切な見直しをすることについて、「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」における議論を加速化し、結論を得た上で速やかに労働政策審議会において議論を開始し、速やかに結論を得る。

 これは相当に気の毒な感はあり、なにかというと上記の「未来投資戦略2018」では「働き方の変化等を踏まえた実効性ある労働時間管理の在り方等について、労働者の健康確保や企業の予見可能性にも配慮しつ、政策審議会等おいて検討」することとされていて(「新しい経済政策パッケージ」も企業の予見可能性に触れていないだけでほぼ同じ)、まあこれに忠実にやろうとすると通算原則そのものを「同一使用者に限る」ことにするという議論はしにくいでしょう。
 特に難しいのが「労働者の健康確保と」と書かれてしまっているところで、実際すでに「副業・兼業の促進に関するガイドライン」でもこう踏み込まれてしまっているわけだ。

…副業・兼業者の長時間労働や不規則な労働による健康障害を防止する観点から、働き過ぎにならないよう、例えば、自社での労務と副業・兼業先での労務との兼ね合いの中で、時間外・休日労働の免除や抑制等を行うなど、それぞれの事業場において適切な措置を講じることができるよう、労使で話し合うことが適当である。
…使用者は、労働契約法第5条に、安全配慮義務(労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をすること)が規定されていることに留意が必要である。

 いやこれ本当にまじめにやろうとすると当然ながら労働時間の把握・通算だけでは不可能なわけで、実際問題連合なんかはパワハラの通算とか言っているわけですよ。でまあこれはたしかに非常にもっともな議論ではあり、本業先で3時間パワハラを受け、兼業先で2時間パワハラを受け、まあ2、3時間であれば我慢できなくもないところ5時間となるとさすがに病むでしょうというのは頷ける理屈です(パワハラに限らず危険有害業務の就業制限全般について該当する話だろうと思います)。そして今回の規制改革推進会議の報告も「未来投資戦略2018」を踏襲して「労働者の健康確保や企業の実務の実効性の観点に留意しつつ」と書いているわけですから、「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」の先生方としてもどうすればという話ではないかと思うわけです。
 実務的にも、まあ労働時間や危険有害業務従事時間などについては使用者が把握することはそれほど難しくもないでしょうが、何時間パワハラしましたなどという情報を使用者が把握できるわけもなく、さりとて労働者に「私は今日兼業先で2時間パワハラを受けましたのでこちらでのパワハラは2時間以下でお願いします」と自己申告させるというのも現実的ではないでしょう(事後の民事的な救済であれば通算して本業先・兼業先に賠償額を時間比例按分するというのも考えられなくもないような気もしますがしかし本業先も兼業先も納得しにくいだろうな)。
 ということで、この点でも労働時間通算原則は破綻しているのであり、本気で副業・兼業を促進したいなら良し悪しは別として健康管理は自己責任と割り切らざるを得ないと思われ、それを良しとしないのであれば(少なくとも雇われての)兼業を企業が許可制にすることは容認せざるを得ないということになるでしょう。
 そしてこの話は意外にも(?)日経がもうひとつ目玉扱いしている「ジョブ型正社員」の話にもつながってくるのではないかと思います。労働時間が限定されていて時間外・休日労働のない限定正社員、業務が限定されていてそれ以外の危険有害業務などを命じられる可能性のない限定正社員であれば、兼業した際にも健康管理は自己責任で行いやすいのではないかと思うからです(報告は兼業先としての日雇い派遣規制緩和も提言していますがこれも比較的自ら健康管理しやすい形態かもしれません)。
 そこで「ジョブ型正社員」ですが、勤務地限定正社員まで「ジョブ型正社員」の箱に入れるのはやや混乱を招くように思いますが(まあ勤務地限定だと職務も限定になることも多かろうとは思いますが)それはそれとして、具体的な<実施事項>はこうなっています。

a 厚生労働省は、「勤務地限定正社員」、「職務限定正社員」等を導入する企業に対し、勤務地(転勤の有無を含む。)、職務、勤務時間等の労働条件について、労働契約の締結時や変更の際に個々の労働者と事業者との間で書面(電子書面を含む。)による確認が確実に行われるよう、以下のような方策について検討し、その結果を踏まえ、所要の措置を講ずる。
・労働基準関係法令に規定する使用者による労働条件の明示事項について、勤務地変更(転勤)の有無や転勤の場合の条件が明示されるような方策
労働基準法に規定する就業規則の記載内容について、労働者の勤務地の限定を行う場合には、その旨が就業規則に記載されるような方策・ 労働契約法に規定する労働契約の内容の確認について、職務や勤務地等の限定の内容について書面で確実に確認できるような方策
b 厚生労働省は、無期転換ルールの適用状況について労働者や企業等へ調査するなどして、当該制度の実施状況を検証する。
c 厚生労働省は、無期転換ルールが周知されるよう、有期労働契約が更新されて5年を超える労働者を雇用する企業は当該労働者に対して無期転換ルールの内容を通知する方策を含め、労働者に対する制度周知の在り方について検討し、必要な措置を講ずる。
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/publication/toshin/190606/toshin.pdf

 ということで日経が強調する割には穏当な印象で、まず「「勤務地限定正社員」、「職務限定正社員」等を導入する企業に対し」という限定がついているということは従来型の無限定正社員が存続することが前提されているわけなので、それを禁止抑制する趣旨ではおそらくなかろうと思われます。
 さらに、これから想定される施策としては、おそらくは勤務地や職務を限定するのであれば、あとから使用者がそれを反故にして転勤命令や職種変更命令を不当に行った場合に対抗できるよう、それを就業規則の相対的必要記載事項にして、まあ雇入通知書とか採用辞令とかで書面で明示することを義務づけるというところでしょうか。悪質な使用者が意図的に口頭での約束にとどめて、後からそんな約束していないと言い出すのに対抗するためには、ちょっと工夫が必要になるような気がしますが…。
 さて、拘束度の高い無限定正社員でもなく、不安定な非正規雇用労働でもない「スローキャリアの限定正社員」という選択肢が拡大することはたいへん好ましいことだろうと思うのですが、労使にとって現状よりメリットがあるものでなければ普及は難しいでしょう。でまあ労働者サイドから見れば(まあ諸般の事情で)非正規雇用しか選択肢がなかった人の新しい選択肢として限定正社員が選べるようになればこれはメリットが大きいでしょう。報告を見ても続けて無期転換ルールについて述べており、非正規→有期5年→無期転換→限定正社員というキャリアを念頭においているらしいことは評価できると思います。
 問題は無限定を選択してきた人たちが限定を選択することのメリットで、勤務地や職務にこだわりのある人や、家庭的事情などで拘束度の低い働き方が必要になった人などにとっては福音かもしれません。一方で、将来的には「本当はファストトラックの無限定正社員になりたかったけれど採用数が少なくスローキャリアの限定正社員にしかなれなかった」という「不本意限定」が出てくる可能性もなくはないでしょう。
 逆にいえば使用者サイドにしてみれば(特に現状のように労働市場がタイトな場合には)働き方に制約はあるものの優れた人材を取り込むことができるというメリットはありそうですし、スローキャリアの限定正社員が増えれば昇進昇格をめぐる人事管理がやりやすくなるという恩恵があるかもしれません。
 あとはよく言われるように雇用保護の程度がどうなるかということで、勤務地や職務を限定した契約については当該勤務地や職務が消滅した場合には疑問の余地なく退職ということになればそれは人事管理面での利点になるでしょう(まあ実務としては可能であれば配転などでの雇用継続を打診するとしても)。逆にいえば、当該勤務地や職務が縮小した場合、無限定正社員の整理解雇にあたって一種の解雇回避努力として限定正社員の解雇を前置することが求められるのか、許されるのかというのも問題になりそうです。まあこのあたりは今回の報告は先送りというか、まあ国会での立法に委ねるということなのか、あるいはいずれ事件になったら裁判所が判断するだろうという話なのかもしれません。
 もうひとつ意外だったのが、これは日経ほかメディアの注目は受けていないようですが「高校生の就職の在り方の検討と支援の強化」という項目が立てられていました。要するに一人一社制を見直せというこれ自体は時々出てくる話であるらしいのですが、今のように就職情勢が良好な時期にはあまりなかったような気もして、「『骨太方針2018』を踏まえ」と書かれていてえーそうだったっけと思う。調べてみたら「…教育の質の向上に総合的に取り組む。新学習指導要領を円滑に実施するとともに、地域振興の核としての高等学校の機能強化、1人1社制の在り方の検討、子供の体験活動の充実、安全・安心な学校施設の効率的な整備、セーフティプロモーションの考え方も参考にした学校安全の推進などを進める。また、…」と、さらっと書かれていました。うーん、気付かなかったなあ。でまあそれは「教育再生実行会議の提言に基づき」となっていたのでそちら(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai11_teigen_1.pdf)も見てみたのですが「中高・高大の接続」という項目の中で最後に「当事者の声も取り入れながら、よりよいルールとなるよう検討を進める」とさらっと押し込まれているのですがそれって高大接続じゃないよね…?
 まあ、高卒就職者の離職率が高いから本人や保護者の意向がより反映されるように…という問題意識はわからなくはないのですが、しかし今現在学校からも企業からも特段の問題の指摘があるという話も聞かないので少し不思議に思いました。とりあえず普段は一人一社制を前提に推薦・選考日程などを議論している高等学校就職問題検討会議にワーキングチームを設置されているようですが…。

高仲幸雄『同一労働同一賃金Q&A』/関島康雄『改訂チームビルディングの技術』

 (一社)経団連事業サービスの讃井暢子さんから、経団連出版の最近刊2冊、高仲幸雄『同一労働同一賃金Q&A-ガイドライン判例から読み解く』と、関島康雄『改訂チームビルディング-みんなを本気にさせるマネジメントの基本18』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

同一労働同一賃金Q&A-ガイドライン・判例から読み解く

同一労働同一賃金Q&A-ガイドライン・判例から読み解く

 まず前者の高仲著は、来年以降順次施行されるいわゆる「同一労働同一賃金」の経営法曹による解説書です。これについては繰り返し書いているとおり政策として極めて筋悪であり、ガイドラインも実務で使うには不明確な部分が多すぎ、裁判例もあまり多くない上に個別にかなり振れていて、ようやく昨年ハマキョウレックスと長澤運輸の最高裁判決が出てなんとなく目鼻がつき始めたかなという状況であり、まあ実務家の疑問や不安のあれこれに歯切れよく答えるのは無理なご注文としたものでしょう。
 そんな中で、この本は現状得られる限りの情報を駆使して主要なポイントをQ&A形式で網羅的に解説しており、その努力と苦心には感服せざるを得ません。一方で、地裁・高裁判決に対しては明確に疑義を呈している部分も何カ所もあり、また「今後の動向に注視が必要」という趣旨の記述も散見され、いずれ時間をかけながら整理されていくのでしょうが、やはり「同一労働同一賃金」のやり方はいかにも拙速だねえと再認識したところです。
 なお経団連出版の類書と同様、後半部分は資料集となっていて法令やガイドラインなどが収載されているのですが、最後の部分では判例・裁判例を分解して住宅手当、家族手当、精勤手当、…、割増賃金、賞与…などに細かく分類して整理しており、なかなか有益かもしれません。
 後者の関島著は2015年に刊行されたものの改訂版ということで、マネージャーを対象とした職場運営の指南書です。文章が平易で分量も多くないので読みやすく、人により職場により、なんらかのヒントが得られるのではないかと思います。

経済同友会代表幹事、終身雇用と新卒一括採用を語る

 経団連会長があれこれ放言問題提起して以来、いわゆる「終身雇用」なるものに関する議論がかまびすしいわけですが、有意義な論調も見られるのに対して、率直に申し上げてストライクゾーンを外れたところでバットを振り回しておおいに空振っている人というのもいるかなあという印象です。まあそもそも「終身雇用」なんて用語は専門家はあまり使わないわけであってな(いやもちろん「いわゆる終身雇用」ということで定義付きで使う人はいるわけですが)。
 ということで、今日は昨日の櫻田謙悟経済同友会代表幹事の記者会見を材料にこのあたりを検討してみたいと思います。経済同友会のウェブサイトに会見録がアップされているのですが(
櫻田謙悟経済同友会代表幹事の記者会見発言要旨 | 経済同友会
)、これに関連する質疑応答はふたつあります(別途高齢者雇用に関する質疑応答もある)。まず1問め、終身雇用についての見解を問われてこう答えておられます。

櫻田: 日本最大の課題はいくつかあるが、日本経済が持続可能性を持って成長していくことが大前提としてある。その次に、日本(企業)の生産性、特にサービス産業の生産性向上が不可欠だ。生産性を上げるために(世界に比して)何よりも見劣りするのが労働の生産性であり、ここを見直すほかない。日本に特徴的なことは新卒一括採用、終身雇用、年功序列とそれに伴う社会保障制度だ。これらは戦後70年間、特に昭和の時代にはよく機能したが、経済そのものが大きく変化したこの30年間において、制度疲労を起こしたことは言を俟たない。その中の一つとして終身雇用を捉えれば、やはり制度疲労を起こしており、(このままでは今後)もたないと思っている。ただ、終身雇用制度だけを取り上げるのではなく、広い意味での働き方改革イノベーションダイバーシティインクルージョンを進めていくために、パッケージとしての日本型雇用を見直していくべきで、その中の一つが終身雇用だと考えている。

 これは一読して開いた口がふさがらなかったわけですが、いやすでに飲食・宿泊業では非正規雇用労働者比率が7割、サービス業全体でも5割を突破しているわけであってな…?(すみません今ウラ取りしてないので数字が間違ってたらご指摘ください)
 でまあサービス業の生産性が低い理由としてとみに指摘されているのがその規模の小ささであり、さらに小規模事業所ほど非正規比率が高い傾向があると言われているわけであってサービス業の生産性向上と終身雇用の見直しはほぼ無関係と申し上げざるを得ないと思います。つか経産省あたりは「非正規比率が低い産業ほど、全要素生産性の伸びが大きくなっている」と主張しているわけで(これはすぐに見つかったhttps://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/sansei/kaseguchikara/pdf/004_03_00.pdf)、近年の動向としては医療福祉系で正社員比率が上がったことで生産性にも好影響が出ているとかいう話もあるらしいわけですよ(これも聞いた話でウラ取りしてませんが)。経済同友会の事務局なのかSOMPOホールディングスの中の人なのか知りませんが、しっかりしてほしいなあ。
 制度疲労と連呼しているのも残念なところで、これは過去繰り返し書いているように制度そのものの質的な問題ではなく、量的な問題だと考えるべきでしょう。長期雇用自体はなくさなければいけないわけでもないし、おそらくなくならない。ただ、「昭和の時代には」正社員が9割くらいを占めて「よく機能した」していたところ「経済そのものが大きく変化したこの30年間において」それを漸進的に6割くらいまで縮小させてきたわけですね。今後さらに非正社員や限定正社員のようなものが増えて、従来型の正社員がもっと減っていく可能性も十分あると思いますし、多様性の観点からはそれが好ましいというご意見には私も同感ですが、いずれにしても長期雇用については量的な問題には違いありません。なおかつて9割を占めた正社員の中に内部育成・内部昇進の典型的な長期雇用がどれほど含まれていたかというのも別途の論点としてあるわけですが、まあこれは損害保険会社の大企業の人の視野に入らないのは致し方ないのでしょう。
 さてもうひとつの質疑応答は新卒採用についての見解を問うものですが、こう回答されたそうです。

櫻田: 日本だけ、閉じた世界で検討するのは誤りだろうと思う。世界のなかで、在学中に就職先が決まる(学生の)割合は日本が圧倒的に高い。80%超である。米国では50%程度だ。つまり、世界の中でも珍しい仕組みであるということを前提におき、日本の今の採用のあり方が、理由はともかく、世界と競争していくには少し特殊であることを認識しておく必要がある。それを続けていく証拠(必要性)が十分にあるのかを考えた際、私としては証拠不十分で、ダイバーシティインクルージョンを含め、学生個々の考え方に沿って企業も採用を進めていくのが正しいのではないか(と思う)。通年採用が前提にあり、キャリア採用を中心として、その一つに新卒採用があるべきだ。(採用に占める)割合も、今は圧倒的に新卒採用が多い。当社・SOMPOホールディングスでも約80%が新卒一括採用で、キャリア採用は20%程度に過ぎない。これではいけない、変えていく必要があると思っている。

 いやいやいやいや「日本だけ、閉じた世界で検討するのは誤り」というのが誤りだと思うぞ。多々ある市場の中でも労働市場は基本的にローカルなものであり、生身の人間というのは右から左に簡単に動かすことはできないし、旋盤やボール盤で手軽に加工できるものでもない。日本においては学校から職業への接続が(国際的に見て)比較的円滑であり、結果として日本の若年失業率の低さは多くの海外の専門家・有識者から高い評価を得ているということはご承知おきいただきたいところで、これまた中の人にはもう少しがんばってほしかったかなあ。
 いっぽうで「通年採用が前提にあり、キャリア採用を中心として、その一つに新卒採用があるべきだ」というのは非常に有意義な問題提起で、ご自身のお会社について「当社・SOMPOホールディングスでも約80%が新卒一括採用で、キャリア採用は20%程度に過ぎない。これではいけない、変えていく必要があると思っている」と言及しておられるように、これまた質的な問題ではなく量的な問題なんですよ(長期雇用と新卒一括採用が表裏一体であれば当然そうなる)。でまあ多様性の観点からも採用・就職にバリエーションがあったほうがいいというのは私も同意見ですし、あとは、たとえば新卒と中途のバランスをどう考えるかとかいった話は各社のポリシーということになるのでしょう。「学生個々の考え方に沿って企業も採用を進めていくのが正しい」というのは、まあ一応は正論としてもどの程度まで「考え方に沿って」やるのかは人により企業により異なるでしょう。実際問題としては「こんな感じの人を100人くらい」といった採用ニーズであればそうそう個別にコストはかけられない一方、そうしないと採れませんという一部の職種についてはすでに学生個々の考え方に沿って個別にコストをかけて職種限定でのジョブ型の採用というのもすでにかなり広く行われているわけです。
 一方で「学生個々の考え方に沿って」という話だと従来型の新卒就職を望む人のほうが多いのではないかという気もひしひしとするわけですが、そこはやってみないとわからないし変わっていくのだということもあるでしょう。繰り返しになりますが個社のポリシーであり、つまり両社の労組もそれでいいと言っているのであれば外部からあれこれ口出しする筋合いではないわけでまあ日立さんとSOMPOさんがおやりになればいいのではといういつもの結論に到達して終わります。

あずさ監査法人スポーツビジネスCoE『スポーツチーム経営の教科書』

 あずさ監査法人の戸谷且典先生から、同監査法人『スポーツチーム経営の教科書』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

スポーツチーム経営の教科書

スポーツチーム経営の教科書

 書名のとおりスポーツビジネスに携わる人のための初級入門書であり、平易な表現でわかりやすく読みやすい本になるようくふうされています。ほとんどの内容はスポーツに限らず一般的に通用する話であり、本来ビジネスを始める際には当然理解しておくべき内容ばかりなのですが、ことスポーツの世界では「これまでノンビジネスだった組織をビジネス化することになりましたが運営にあたるのはこれまでと同じ人たちです」というシチュエーションが発生しやすいと思われ、そういう場合に非常に有益な本だといえましょう。
 したがってスポーツに限らず類似のケースであれば同じく有益な本であり、題材がスポーツという身近なものである分楽しく学べるのではないかと思います。いやなにかと問題含みの競技団体の役員の方々などはこれで顔を洗ってこらこらこら。

採用と大学教育の未来に関する産学協議会中間とりまとめ

 これに関しては先週から日経新聞大騒ぎ熱意をもって報じておられ、昨日はついに社説でもこれを取り上げておりますな。

 新卒一括採用が企業の成長を阻んでいる

 経団連と大学側が専門性を重視した通年採用の拡大など、人材採用の多様化を進めることで合意した。現在の「新卒一括」方式に偏った採用は学生の能力の見極めが甘くなりがちな問題があり、その見直しが前進し始めたことを歓迎したい。企業は採用改革を推し進めてほしい。
 経団連と大学関係者らから成る「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」が中間報告をまとめた。企業の採用活動について、専門的なスキル(技能)をみる通年型の「ジョブ型採用」を取り入れるなど、「複線的で多様な採用形態」への移行を提言した。
平成31年4月24日付日本経済新聞朝刊から)

 まあ先週の段階では実物を見てみないとなんともわからないなあと思っていたところ、こちらに全文が掲載されましたので読んでみたのですが、全体的な感想としては無難だねえというところでしょうか。たぶん経団連会長のご発言がなにかとミスリーディングなんじゃないかと思う。
 まず気を付けなければいけない(というか嫌でも目に入る)のが、この文書の1丁目1番地(1.Society5.0時代に求められる人材と大学教育の(1)Society5.0時代に求められる能力と教育)にこう書かれていることでしょう。

 Society5.0時代の人材には、最終的な専門分野が文系・理であることを問わず、リテラシー(数理的推論・データ分析力、論理的文章表現力、外国語コミケーション力など)、論理的思考力と規範的判断力、課題発見・解決能力、未来社会の構想・設計力、高度専門職に必要な知識・能力が求められ、これらを身につけるためには、基盤となるリベラルアーツ教育が重要である。

 いやそれってどういうハイスペック人材なのさと思うわけで、いかにSociety5.0の世の中とは言えども、大卒者に限ったとしても全員がそんな人材になれるわけもなければなる必要だってないでしょう。大学だって入学者全員をそのように育てられるとか育てなければいけないとか、考えていないと思うなあ(いやそれはなるべく多いに越したことはないのでしょうが)。
 要するにそういうかなり限られた人材について議論された文書であり、そう考えると記述内容もかなり常識的とまでは言わないまでもすでに先行事例の存在する現状追認的なもので、だから無難だねえと思ったわけだ。
 でまあ中西会長というお方はこの限られた人材にしかご関心がないらしく、それがすべてであるかのように語られるものだから日経が真に受けて舞い上がってしまったのだなたぶん。なおこれについてはどうやら事務局から水がかけられたらしく、中間とりまとめが発表された日の定例記者会見ではこのように軌道修正しておられます。

…報道にあるような、大学と経団連が通年採用に移行することで合意したという事実はない。複線的で多様な採用形態に秩序をもって移行していくべきであるという共通認識を確認したという趣旨である。

 ということで、ジョブ型雇用についてはこう書かれているわけですが、

 今後は、日本の長期にわたる雇用慣行となってきた新卒一括採用(メンバーシップ型採用)に加え、ジョブ型雇用を念頭に置いた採用(以下、ジョブ型採用)も含め、学生個人の意志に応じた複線的で多様な採用形態に秩序をって移行すべきである。

 まあ要するに従来の事業分野においては従来型のメンバーシップ雇用が継続されているのに対して、AIとかビッグデータとかサイバーセキュリティとかいった新規分野についてはその分野・職種に限定したジョブ型雇用もやっていきましょう(いくしかない)というわけですね。これはすでに多くの企業で取り組まれていることだろうと思います。ひとつご紹介しますと明大の永野仁先生がJIL雑誌に書かれた「企業の人材採用の変化-景気回復後の採用行動」という論文があるのですが、そこにはこういう記載があります。

 ⑤職種別採用
 新卒一括採用の場合には, 事務系・技術系というような大きな括りはあったものの, 特に事務系では採用後の職種や部門を決めずに採用が行われていた。 それに対し, 職種別採用とは, 採用時に採用後の職種や部門を決めて採用する方法である。
 このような職種別採用を導入する企業は増加傾向にあるが, 導入企業における大卒総合職採用者に占める職種別採用者は多くない。 例えば,A3社では数字上は半数近くが職種別採用ではあるが, そのほとんどは金融再編で新たに加わった事業領域の担当者として採用された新卒者で, 従来からの事業領域での職種別採用は30人に過ぎない。

 これ2007年の論文ですよ。すでに10年以上前に新規分野での職種別採用(まあこちらは分野別か)は増加傾向にあったというわけですから、まあそれほど目新しい話ではない。目新しいとしたら一部で採用時からかなり刺激的な労働条件が提示される例があるところでしょうか。
 というか、高度専門職のジョブ型雇用って日経連の自社型雇用ポートフォリオの「高度専門能力活用型」そのものじゃん。そうか二十数年の時を経てついに日経連の予言が実現する時が来たのかその先見性たるやまあまあまあまあそれはそれとして、これ自体は雇用形態の多様化、しかもそれなりに良好な雇用機会が増える形での多様化なので望ましい方向だろうとは私も思います。いっぽうでこの文書ではそれは労働市場のかなりの上澄み部分が想定されているわけで、だから長期雇用慣行やメンバーシップ型雇用や新卒一括採用がなくなるだろうとかなくなるべきだとかいう話でもないわけですね。
 ちなみに中西会長は上述の記者会見でこう持論を展開しておられるのですが、

 人生100年時代において、一つの企業に勤め続けるということは難しくなる。リカレント教育は、テクノロジーの再教育だけでなく、新しい人生の再設計もターゲットとしている。社会を多面的なものにしていく必要がある。

 中間とりまとめにはこの「一つの企業に勤め続けるということは難しくなる」という趣旨の記載はないことにも注意が必要でしょう。中西会長は近年欧米の現地法人のトップを長く務められたらしいので、まあICTビジネスの最前線での人材争奪戦を目の当たりにしてこられたのでしょうか。いささかアメリカかぶれしておられるのかも知らん。
 さてこれに関しては、私はさまざまな場面でかの池田信夫先生も絶賛しておられたhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301281.html、なお他のおすすめにはダメなのも多い)八代尚宏先生の名著『日本型雇用慣行の経済学』(日本経済新聞社、1997)にある次の一節を紹介しているのですが、

 一般に、「日本的」と称される雇用慣行の特徴としては、長期的な雇用関係(いわゆる終身雇用)、年齢や勤続年数に比例して高まる賃金体系(年功賃金)、企業別に組織された労働組合、などがあげられる。これら企業とその雇用者の間の固定的な関係は、かつては雇用者の企業への忠誠心を確保するメカニズムとして理解された時期もあった。しかし、欧米の企業でも、雇用の固定性は必ずしもめずらしいわけではなく、日本と欧米諸国との雇用慣行の違いは、質的な違いよりも、それがどの程度まで企業間で普及しているかの量的な違いにすぎない。
八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学』p.35)

 まさにそのとおりで、日経新聞などが唱道するような質的な違いではなく、量的な違いにすぎないのですね。でまあ実際問題としてメンバーシップ型の比率は(主として非正規雇用の増加という形で)傾向的に縮小しているのであり、それが今後はさらに専門職のジョブ型が増えることによってさらに縮小するのだろうという話でしょう。繰り返しになりますがそれは好ましい変化ではないかと思います(非正規の拡大まで好ましいと言っているわけではないので為念)。
 したがってこの中間とりまとめをみてもメンバーシップ型がなくなるというような記述はありませんし、それこそ解雇規制がどうこうという話には一切言及がないわけであってやはり無難なものといえそうです。実はこれについても八代先生の上掲書でこう記述されていて、

 本書は、日本の雇用慣行を含む企業システムが全体として戦略的な補完性をもつため、大幅な革新なしには変わらないという見方に対して、より漸進的な変化の可能性を指摘する。それは、従来の日本的雇用慣行の対象である企業活動のコア的な雇用者の比率が低下し、それを取り巻く流動的な雇用形態の労働者が徐々に高まる「雇用のポートフォリオ」選択の変化である。これは従来の固定的な雇用慣行が不要となるのではなく、むしろその逆を意味する。すなわち、流動的な形態の雇用者の比率が高まるほど、固定的な雇用慣行の対象となるコア労働者の責任は高まるという「労働分業」の進展でもある。
八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学』p.252)

 多様性が進展する中で従来型雇用の役割も重くなるという指摘であり、おおむね実際そのとおりにもなっているわけで、日経連とは違ってさすがの先見性というべきではないかと思います。
 なお中間とりまとめにはこの他にも多数の提言が記載されていますが、それらについても比較的無難かなあという印象です。私は客員でお客さんなのでなかの人と言っていいかは微妙ですが、それでもここで記載された取り組みの多くはCBSの内部に入り込んで眺めればすでに見える光景だなあとは思います。